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答えの出ない問い…

コロナ禍で面会禁止が続いている病院。
夫とも2ヶ月以上会えていなかった。
今週、散髪の予約が入っていたので、確認の電話をしてみたところ、やはりそれも延期とのこと。もし窓越しに顔を見るだけでもよければ…と言っていただけたので。久しぶりに病院へと。

夫は、5年前に脳出血を起こして以来、遷延性意識障害(いわゆる植物状態に近い状態)が続いたまま。
それでも、全く反応がないわけではなくて。他人から見たら本当にささやかでしかないようなことだけれど、意思疎通(と言っていいのかどうか…)ができていると感じられる瞬間が増えてきていた。もしかしたら、もう少し回復を望めるのでは…と小さな期待を抱き始めていたさなか、昨年末に大きな痙攣を起こしてしまい、また容態は逆戻り。
そんな中での長期間にわたる面会禁止。
刺激が少ない毎日が続いて、眠ってばかりになっていないかな…。
気がかりいっぱいの、どうすることもできない、もどかしい毎日が続いていた。

夫のいる病棟は1階にあるので、ベッドのまま談話室の窓の近くに連れてきてもらい、私は外からのぞきこむような感じに。
看護師さんが、こちらを向くように向きを変えてくれたりしたけれど。目はうつろで、以前は多少動かせていた手も全く動くことはなく…。
まだ顔の痙攣も完全にはおさまっていなくて、時々首がぐーっと反対方向に動いてしまったり。
私のこと認識してくれるといいな… という淡い期待が叶えられるどころか、三歩も四歩も後退してしまったように感じられて。面会(というよりは一方的に眺めただけ…)後、涙をこらえるので精一杯だった。

でも、少し冷静になって考えてみたら。容態が悪化してしまったように見えた今日の夫の状況。実際は、それほどではないのかも… と思えてきた。普段の面会時も、最初のうちはぼーっとしていて、話しかけたり触れたり… いろいろ外から刺激を与える中で、少しずつ、表情や仕草に変化が見られるようになってきていたのだから。
夫と私とでは、流れている時間の感覚も全く違うのだろうし…。
面会禁止が解除されて、またゆっくり一緒の時間を過ごせるようになったら、もしかして…。
なかなかあきらめられず、小さな期待を抱いてしまう。

どんなに強く願っても叶わない望みがあることくらい痛いほどわかっている。折り合いをつけて生きるしかないことも。
こういう状態で生き続けるということ、夫はどう思っているんだろう?
何度も何度も考えてきた、答えの出ない問い。
いろいろな本を読んで、いろいろなことを試してきたけれど。
自分がどんな状態であるかを理解できる程度の能力が夫に残っているのかさえ、いまだ確かめられないまま。

このまま考え続けていたら眠れなくなってしまいそうだったので。
気分転換しようと恋愛映画を観ていたら、登場人物たちが医療ドラマらしきものを見ているシーンが出てきて。
その流れで、「僕は植物人間になっても生きたい」というセリフが。
あれこれ考えていた直後のことだったので、私にとっては意味のある偶然。
まるで夫からのメッセージが届いたような気もちになってしまった。

もし、無意識にでも、生きたいと思ってくれているなら救われるなぁ…。

以前読んだ
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』帚木蓬生
で知ったネガティブ・ケイパビリティという言葉。

謎や問いには、簡単に答えが与えられぬほうがよいのではないかと。不明のまま抱いていた謎は、それを抱く人の体温によって成長、成熟し、更に豊かな謎へと育っていくのではあるまいか。そして場合によっては、一段と深みを増した謎は、底の浅い答えよりも遥かに貴重なものを内に宿しているような気がしてならない。(文中に出てきた、黒井千次さんの言葉)

投げ出さずに、これからも問い続けていこう…。

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