見出し画像

天照大御神様のおそば「機殿」で 元伊勢一五〇 神話は今も生きている ことの葉綴り四八二

六月二十六日(土)一粒万倍日+巳の日+神吉日

こんにちは。今朝未明の満月。今夜見えるかな?
明日も、金運・財運によい「巳の日」と一粒が万倍に実る「一粒万倍日」、そしてご神事に関する「神吉日」のトリプル吉日です。
ご近所の氏神さまへのお参りいかがでしょう?(^^)

さて、今日も、さっそくお仕事の合間のひととき「ことの葉綴り」に向かいます。宜しくお願いいたします。

<ことの葉綴り>ご案内
この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

画像3


天照大御神さまのすぐお側「機殿」で祈る倭姫命さま

半世紀以上、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)として全身全霊でお仕えされてきた倭姫命さま。
齢を重ねられて、ご神事を執りおこなう斎宮(いつきのみや・さいぐう)のお役目を姪っ子である、五百野皇女(いおののひめみこ)さまへ継承され、斎宮の暮らす多気宮(たけのみや)をお造りになられました。
倭姫命さまは、そのあと、どうなさったのでしょうか……。

爰(ここ)に、倭姫命(やまとひめのみこと)、宇治機殿(うぢのはたどの)の礒宮(いそのみや)に坐(ま)しまし給へり。
日の神を祀り奉ること、倦(う)むこと无(な)し。


倭姫命さまがおつくりになられた斎宮寮の「多気宮(たけのみや)」三重県多気郡にありました。
一方、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、宇治の機殿(はたどの)御殿の「礒の宮(いそのみや)」にいらっしゃることになったようです。

ということは、倭姫命さまは、天照大御神さまがお鎮まりになる、五十鈴の宮のすぐ近く、宇治の機殿に、いらっしゃられたのですね。
そして……
日の神さま、天照大御神さまをお祭りされるのが、熱心であられました――と、続いています。

覚えていらっしゃいますか? 
倭姫命さまが、天照大御神さまを五十鈴の宮にご鎮座申し上げて、すぐにされたこと。そう、皇太神さまの神御衣(かんみそ)を織る「機殿」をおつくりになられましたよね。

ずっと、ずっと天照大御神さまのお近くに……ずっといらっしゃたのですね(涙)

画像1


「伊勢斎宮群行」のはじまり

そして、これより後は、御杖代(みつえしろ)、斎宮(いつきのみや・さいぐう)となられた皇女は、天照大御神さまにお仕えするために、都から伊勢へと下向するに先立って、皇居の中にある「初斎院」で、一年間心身を清める潔斎をされます。
そして、その後は、皇居の外にある「野の宮」にもこもられて、さらに一年間、潔斎をされて、その後、伊勢へと赴かれるようになったのです。
この伊勢への旅路を「伊勢斎宮群行(いせさいぐうぐんこう)」と呼ばれました。

この五百野皇女(いおののひめみこ)さまが、都にある宮中から伊勢へ、天照大御神さまにお仕えする斎宮(いつきのみや)としての旅のはじまりとなったのですね。

三重県多気郡明和町には、倭姫命さまが、五百野皇女(いおののひめみこ)のためにお造りになられた「斎宮」跡に、現在は「斎宮歴史博物館」「いつきのみや歴史博物館「さいくう平安の杜」が建ち、発掘調査、また平安時代のころの建物の復元などがおこなわれていますよ。

あ~倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、偉大さが本当に身に染みてきます。今に受け継がれているほとんどが、倭姫命さま、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまのご尽力の賜物ですね。
あ~倭姫命さまに、会いに伊勢にいきたいです、ホントに!!!!

画像2

―次回へ
#一度は行きたいあの場所


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?