見出し画像

今にも続く「祭祀」の基 崇神天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り。二六三

天つ神国つ神のお社を定める!

こんにちは。秋晴れの中、今日も「ことの葉綴り。」のひとときです。

神話の物語、崇神天皇の御代、疫病が大流行し、心を傷められ、
神床(かむどこ)で、神さまのご神託を受けられます。

そして、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の直系の子孫、意富多多泥古(おほたたねこ)が、三輪山の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまの祭祀を執りおこないました。

崇神天皇は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の祭祀だけではなく、天つ神、国つ神の、神さまを尊びお祀りすることをとても大切にされていきます。
そして、産業を興し、船や道など交通を整えて、人々へのの福利を進め、大和朝廷の基盤を確立されたことから「初国治らす天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と、讃えられました。

画像1


また、饒速日命(にぎはやひのみこと)邇芸速日命(にぎはやひのみとも書いて、物部氏の祖でもあります、その子孫である伊迦賀色許男命(いかがしこめのみこと伊香色雄命)。

崇神天皇は、この饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫である伊迦賀色許男命(いかがしこめのみこと)に、次のことを命じられました。

画像2


今にも続く「祭祀」の基

天の八十平瓮(あめのやそびらか)という、ご神事で使うための平なお皿をたくさん作らせてます。
そして、天つ神さま、国つ神さまのお社を、それぞれお定めになり
そのお宮に、神さまを奉り、お祀りした
のです。

さらに宇陀の墨坂神(すみさかのかみ)には、赤い色の楯矛をお祀りし献上し、大坂神(おおさかのかみ)には墨色の楯矛をお祀りし献上しました。

まだまだ神さまを大切にすることは続きます
次には、坂の上にいらっしゃる神々
河の瀧の神々にいたるまで、すべての天つ神、国つ神さまを忘れることなく幣帛(みてぐら)を奉り、神さまを大切に尊びお祀りしたのです。

幣帛(みてぐら)は、へいはくともいいます。
神さまに、奉り献上するものの総称のことです。

崇神天皇の、こうした祭祀によって、神の祟りも、疫病の流行も治まっていき、国中が安らかになっていったのです。

今にも続く、「祭祀」の基礎が、ここに見られます

神祀りは、長い年月を巡り今にも受け継がれて生きています

それを、私たちも忘れることなく、怠ることなく
つとめたい
ですね。

現在のコロナ禍の時代であっても、こうした祈りのこころ、神さまを奉ることを、大切に尊んでいきたいです。

画像3

美乙女、活玉依毘賣(いくたまよりびめ)の恋伝説

そして、大神神社の祭祀を任命された意富多多泥古(おほたたねこ)。
この意富多多泥古(おほたたねこ)の先祖である、古い古い神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と、妻となった美しい人間の乙女である活玉依毘賣(いくたまよりびめ)との結びつきも、とってもロマンチックな不思議な深いものだったのです。

いったい、どんな恋物語だったのでしょうか?

画像4

―次回へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?