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天皇のお妃を横取り?した皇子、大碓命 景行天皇其の四 神話は今も生きている ことの葉綴り五一六

七月三十日は明治天皇祭

こんにちは。今日は、金運招来の「寅の日」ですね。
早いもので文月も明日で終わり。
七月三十日は、東京の明治神宮さんの「明治天皇祭」。
明治天皇の崩御された日です。
皇居の皇霊殿と、陵所でもご神事が行われ、天皇皇后両陛下、皇嗣ご夫妻、皇族方が拝礼をおこなわれます。

さて、今日も神話の物語の続きに入ります。

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<ことの葉綴り>ご案内
この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

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景行天皇の皇子たち

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)さまには、多くのお妃と八十王(やそはしら)の御子がおられました。
この八十王の中で、
大碓命(おほうすのみこと)
若帯日子命(わかたらしひこのみこと)と、
五百木入日子命(いおきのいりひこのみこと)
が、皇太子太子(ひつぎのみこ)」となりました。

その中で、皇位を継承したのは、若帯日子命(わかたらしひこのみこと)で、のちの、第十三代、成務天皇(せいむてんのう)となられます。

皇后、針間(はりま)の伊那毘能大郎女(いなびのおほいらつめ)との間に生まれた五柱の御子。

櫛角別王(くしつぬわけのみこ)は、
茨田下連(うまらたのしものむらじ/まんだのしもむらじ)らのとなります、とあります。

大碓命(おほうすのみこと)は、
美濃の守君、大田君、島田君の祖となります。

小碓命(をうすのみこと)は、
東と西の荒ぶる神を、またまつろはぬ(従わない)人たちを、平(ことむ)けて(服従させて)いきました。
この小碓命(をうすのみこと)こそ、英雄神、倭建命(やまとたけるのみこと)さまとなっていかれます。

倭根命(やまとねのみこと)。

神櫛王(かむくしのみこ)は、
木国(紀国)の酒部の阿比古、宇陀の酒部の祖となります。

また、日向(ひゅうが)の美波迦斯毘賣(みはかしびめ)との間に生まれた、豐國別王(とよくにわけのみこと)は、
日向(ひゅうが、九州、宮崎)の国造(くにのみやつこ)のとなります。

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大碓命と小碓命、双子説も

また、『日本書記』では、大碓命(おほうすのみこと)と、小碓命(をうすのみこと)は、双子としてお生まれになったとあります。
それを不審に思われた景行天皇は、碓(うす)に雄たけびをされたのです。
そのことから、大碓命(おおうすのみこと)、小碓命(をうすのみこと)と申し上げる、とあります。

物語は、この大碓命(おおうすのみこと)さまのお話へと入っていきます。

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大碓命、美人姉妹を天皇から横取り

八十人の御子を設けた景行天皇。
美しい乙女に目がなかったのでしょうね。

あるとき、三野国造(みののくにのみやつこ)、三野は美濃ですね。
そこの大根王(おほねのみこ)の娘の、兄比賣(えひめ)と、弟比賣(おとひめ)という、容姿端麗の美しい姉妹がいると噂をお聞きになり、「ぜひ、目にしたいものだ。宮中に妃として迎えたい」と、思われたのです。

そして、皇太子である大碓命(おおうすのみこと)を美濃へと、「兄比賣(えひめ)と弟比賣(おとひめ)を宮中へと召し連れてくるように」と、お遣わしになられたのです。

大碓命(おおうすのみこと)は、父である天皇の命に従い、さっそく美濃へと向かいました。

そこで実際に、兄比賣(えひめ)と弟比賣(おとひめ)を目にした大碓命(おおうすのみこと)。
その可憐さ、美しさに目を奪われてしまい、姉妹に一目ぼれ!!

これは、わがものにしたい!

と、なんと、天皇のお妃にという使命は、そっちのけにしてしまいます。
天皇からの勅命を、この姉妹に伝えませんでした。

で、どうしたのでしょう?

大碓命(おおうすのみこと)は、なんと、この美しい姉妹の兄比賣(えひめ)と弟比賣(おとひめ)を、わがものにして、自分が「婚(まぐは)ひ」をして……自分が結ばれちゃったのでした。ええっ??!ですよね(苦笑

天皇のお妃となる美しい姉妹を、横取りしたのです……。

美しい女性に目がない父と、それに劣らない美女好きの大碓命。
どうなるのでしょうね……。

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―次回へ
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