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強い女シコメ!? 神話は今も生きている ことの葉綴り。二四〇

五人の御子、それぞれの使命


こんばんは。仕事を終えて、夕焼け小焼け♪の音楽が鳴り響いています。今日も青空が美しかったですね。
今から「ことの葉綴り。」に向かいます。

神話の物語。『欠史八代』の中の第七代、孝霊天皇(こうれいてんのう)。
その御子の一人、大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)が吉備の国を平定するおはなしが、童話「桃太郎」の「鬼退治」の物語の元型となったことをご紹介しました。

この御子は、吉備津神社のご祭神となり、鬼と呼ばれた温羅(うら)も共に祀られています。
そして「鳴釜神事」は、今にも続くご神事となっています。
さて、『欠史八代』の系譜へ戻りましょう。

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孝霊天皇には、五人の御子と三人の王女がいました。
長子である、大倭根子日子國玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのみこと)が、皇位を継承されました。

そして大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)と、若日子建吉備日子命(わかひこたけきびひこのみこと)が、力を合わせて吉備の国を平定しました。
残りの二人の御子も、神話にはこう綴られています。

日子寤間命(ひこさめまのみこと)は、針間(播磨)の牛鹿臣の祖となりました。播磨は、吉備の國を平定するにあたり、ご神事をした、いわば大和の都との“中継地点”のようですね。その大事な場所を治めたのですね。

日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)
高の利波臣、豊国の国の前臣、五百原君、角鹿の海直の祖なり
と、こちらも、地方の首長となっていったことがわかります。

そして、第七代、孝霊天皇は、百六歳のご長寿で身罷られました
御陵は、奈良県北葛城郡の片岡の馬坂の上に葬られました。
孝靈天皇片丘馬坂陵(こうれいてんのう かたおかのうまさかのみささぎ)」

第六代、父の孝安天皇の都のあった御所市から、孝霊天皇は、都を北葛城郡の黒田に遷されたのですが、御陵は、なぜか王寺町の片丘馬坂の地にある理由は不明なのだそうです。

四人の妻と、八柱の御子に恵まれて、息子たちが共に力を合わせて吉備の国を平定されたこと。それは嬉しかったでしょうね、きっと

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第八代 孝元天皇(こうげんてんのう)

次に皇位を継承した、大倭根子日子國玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのみこと)は、輕の堺原宮(かるのさかいひばらのみや)にて即位をされて、天下を治められました。
これは、現在の奈良県の橿原市貝瀬町で、宮跡を伝える石碑が道路脇にあるそうです。
また、すぐ近くにご鎮座している「牟佐坐神社」(むさにますじんじゃ)さんには、伝承地としての由緒が残っているそうで、孝元天皇が、高皇産霊命(たかみむすひのみこと)と共にご祭神として、お祀りされています。
この神社は、後の代で「壬申の乱」にも登場しますよ。お楽しみに! 

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強い女、シコメ?

孝元天皇は、三人の妻との間に、五柱の御子をもうけます。
穂積臣(ほづみおみ)等の祖内色許男命(うつしこをののみこと)の妹内色許賣(うちしこめのみこと)を娶り、
大毘古命(おほびこのみこと)
次に、少名日子建猪心命(すくなひこたけゐごころのみこと)
次に、若倭根子日子大毘命(わかねやまとねこひこおおびのみこと)の三柱の御子が誕生します。

この穂積臣は、初代の神武天皇が、大和平定のときに、ピンチを救った神饒速日命(かむひぎはやひのみこと)の子孫だそうです。

内色許(うつしこ)とありますが、この”うつ”は、「現実の」という意味で、しこは、醜女(シコメ)もあり、強い女、という意味だろうといわれています。
そういえば、相撲の力士も、「シコをふむ」っていいますね。
醜女という感じは、なんか、ええってイメージですが、
強い女という意味なら……まあ、いいですよね。

だって、強い女って、クールでカッコいいですもんね(^^)

二人目の后は、内色許男命(うつしこをののみこと)の女(むすめ)の、伊迦賀色許賣命(いかがしこめのみこと)
比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)が生まれます

と、いうことは、内色許男命(うつしこをののみこと)の妹と娘の二人を娶ったのですね。

もう一人は、河内の青玉の女(むすめ)、波邇夜須毘賣(はにやすびめ)を娶り、建波邇夜須毘古命(たけはにやすびのみこと)が生まれます。

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この五柱の御子で、次の皇位を継承したのは誰でしょう?

そうです。倭(やまと)と、根子日子がそれを表している、
三番目の御子、若倭根子日子大毘命(わかねやまとねこひこおおびのみこと)でした。
神話には、他の御子たちの系譜も詳しく綴られています。
『欠史八代』。”知られていない神様””たちにも、いろいろな物語があっておもしろいです。
また、長子が皇位を必ずしも継いでいるわけではありませんよね。子どもの誰に、何を、受けついでもらっていったのか。そんな”思いの伝承”も、垣間見えるようで、綴っていても、親から子へ、さらに次へと、命の連なりを感じて、心温かくなります。

それではまた次回に!

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―次回へ

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