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八十人の御子?! 景行天皇其の二 神話は今も生きている ことの葉綴り五一四

土潤ってむし暑し

こんにちは。台風の影響で雨降りから、午後は晴れ間が見えました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
暦では、七十二候「土潤ってむし暑し
大雨が時おり降る季節で、地面からは湿気で潤いかげろうが立ち、暑く感じるころだそうです。
まさに……ですね。
昨日と今日と在宅でお仕事ですが、つい、オリンピックのチャンネルを回して見入ってしまいます(^^)
さて、今日も神話の物語に入ります。
神話の読み下しに戻り、またまた、神さまの名前や系譜など、漢字が多くなりますが、宜しくお願い致します(苦笑)。
お話も少しずつ進んでいき、また何か浮かんだときにはお話がそちらに行ったりしながらかと思いますが、ご了承くださいませ(ペコリ)

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<ことの葉綴り>ご案内


この「ことの葉綴り」全体の神話の物語のご紹介です。
神話は、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、日本の魅力的な神様の物語編。
約、二千年前、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編。
ときおり綴る「エッセイ」編。
それぞれに「マガジン」で分けています。
下記のトップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様べつに「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

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景行天皇の皇后と五柱の皇子

大帯日子斯呂和氣(おほたらしひこおしろわけ)さまこと、第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)は、八十人の御子がいた、とされています。

前回、紹介しましたが、皇后の針間(はりま)の伊那毘能大郎女(いなびのおほいらつめ)さまの父親は、第七代、孝霊天皇の皇子で、吉備の国を平定した兄弟の弟、若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)さま。
このというのは、岡山県の「吉備津神社」さん「吉備津彦神社」さんの主祭神としてお祀りされる大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)さま。

若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)さまも、「吉備津神社」さんにお祀りされています。

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若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)は吉備臣の祖となります。

景行天皇(けいこうてんのう)は、この娘の針間(播磨)の伊那毘能大郎女(はりまのいなびのいらつめ)を皇后に娶りました。
この名前にある郎女(いらつめ)とは、才媛を意味するそうです。
そして誕生したのが、次の五柱です。

一、 櫛角別王(くしつのわけのみこ)
二、 大碓命(おおうすのみこと)
三、 小碓命(をうすのみこと)、倭男具那命(やまとをぐなのみこと)
四、 倭根子命(やまとねこのみこと)
五、 神櫛王(かむくしのみこ)

景行天皇の物語には、大碓命(おおうすのみこと)と、弟の小碓命(をうすのみこと)が、とても重要なところで登場します。
そして、ご存じの方も多いかと思いますが、こちらの、小碓命(をうすのみこと)さまこそが、神話でもっとも人気の高い倭建命(やまとたけるのみこと、日本武尊)さまなのです!
登場まで、しばしお待ちくださいね。

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皇后の妹もお妃に!

この才媛な皇后の針間(播磨)の伊那毘能大郎女(はりまのいなびのいらつめ)さまのである、伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)も、景行天皇のお妃に娶られています。

伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)の御子は
一、 眞若王(まわかのみこ)
二、 日子人の大兄王(ひこひとのおおえのみこ)
の二柱をお産みになります。

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崇神天皇を祖父に持つ従姉妹のお妃

また、八尺の入日子命(やさかのいりひこのみこと)の八坂の入日賣命(やさかのいりひめのみこと)さまもに向かえます。

妃の父、八尺の入日子命(やさかのいりひこのみこと)は、景行天皇の祖父、第十代、崇神天皇(すじんてんのう)の皇子
景行天皇にとっては、父の兄、伯父にあたるので、従姉妹をお妃に迎え入れたということですね。

この八坂の入日賣命(やさかのいりひめのみこと)さまの皇子は
一、 若帯日子命(わかたらしひこのみこと)
二、 五百木入日子命(いおきのいりひこのみこと)
三、 押別命(おしわけのみこと)
四、 五百木入日賣命(いおきのいりひめのみこと)
です。


景行天皇の系譜、まだまだ続くのであります、
なんせ、八十の御子がいらっしゃるのですから。
とはいえ、お名前が記されているのは二十一名。
お名前が残っていない御子は五十九王!

まだまだ続きます。
どうぞ宜しくお願い致します。

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