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自分の居場所は、自分で選んでいいんだよね。

長い文章を書くのは、なかなか骨の折れる作業だ。一度ノッてきてしまえば思いの外スラスラと書けたりするのだけど、ともかく最初のひとこと目を引き出すまでの逡巡ときたら。

それでも、ことばにしたいことというのは、何気ない瞬間に降りてきてしまうのである。何かのインスピレーションをきっかけに、ひとたび思考の運動会が始まると、私の脳内には途端に砂埃が立ち込め、辺りが見えなくなってしまう。

放っておくと、窒息してしまうから。だから、ことばにして吐き出してしまいたい。短くても、まとまらなくても、一度外に出してしまうことで気持ちは少し軽くなる。

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前置きが長くなったけれど、そういうわけで、最近Twitterでつぶやくようになった。140字の中に想いを詰め込むには、ほんとうに大事なことだけを掬い取っていく必要があって、それで思考が整理されてゆくという効果を感じている。

自分のつぶやきが、すぐに沢山のツイートの中に流れていってしまうところも良い。いつまでも留まらず、流れてゆく。でも、その気になれば、遡って自分の軌跡を確認することも出来る。そんな距離感は心地よい。

・・と同時に、困った事態も引き寄せてしまっていて。

無意識に、「成功してる人の考えを学ばなきゃ!」的な思考が発動するらしく、そういう方々のツイートを覗きに行ってしまうのだけど、見事に負傷して帰ってくる確率ときたら。

挑発的なやりとりもそうなのだけど、そもそも熱量が違いすぎて、圧倒され消耗してしまうこともしばしば。圧倒的にストイックな人を見ると、心がざわざわしてしんどくなることに、改めて気付かされた。

もっと直接的な言い方をすれば、「なんか気分が悪いな」と感じていた。ストイックの素養がまるでない私を、全否定されているような気持ちになってしまうから。それでも見てしまうのは、まさに「頑張れない私が悪い」の思考が、根深く私に染み込んでいるからなのだろう。

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それに気づいて、心が「うぅ・・」となるような投稿をしている人は、どんなに有名でも、有益な情報を発信していても、フォローしないことにした。たまに覗いてみたりはするけれど、気分が落ち込むようなら、すぐにそっ閉じする。

もちろん、有益な情報を得て、そこから学ぶことは大事だと思う。でも、それよりも「自分が心地よく居られる」ことの方が大事だなって思った。無理して自分を鼓舞することのない、自然体で居られる場所を、自分で選ぶ。

自分の人生なのだから、自分の居場所も、自分で決めていいんだよね。

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