羨ましく妬ましいことへのわたしなりの挑戦
たまらなく羨ましいのだ。
あのなんとも言えない感情を言葉で表せることが。
もわもわしていた気持ちを、それ以外の表現はないと思える文章にしていることが。
グッと心を掴む言葉で表現されていることが。
そんな人の文章を読んだら蛍光ペンで何回も何回もチェックして、わたしの「素敵な表現ノート(実在しないけど)」に閉じ込めて、何回も読み返して、そしていつかわたしもそんな風に書けるようになりたいという思いを強くしてしまう。
幼い頃から、心惹かれる文章に出会うとそこが光り輝いて見えた。
いつかそんな風にわたしも書けるようになりたい。とそう思うようになった。
でもそんな風にはなれない。
短くグッと心を掴むような文章は書けない。
素晴らしいところを伝え返したいけれど、うまく表現できなくて結局訳が分からなくなってしまう。
それはコンプレックスとなり、いつしか自分でもわからなくなるくらい抑え込んでしまっていた想いとなってしまっていた。
羨ましく、そしてときに妬ましいと思うほどの文章にわたしは日々出会う。
自分にその才がないことが悲しく、それでもなんとかして近づきたいと思っていた。
けれどふと違う方向から見ることができた。突然に。
わたしは他の人の文章をこんなにも感じ取ることができるのだ、ということ。
もしかしたら書かれた本人が気付いていない部分でさえも、そこに輝きを見出せるのかもしれないと。
それは傲慢な考え方かもしれないけれど、わたしに一条の光を与えてくれるものだった。
わたしが感じたことを端的に流麗な文章では伝えられないかもしれないけれど、ゴタゴタした文章になるかもしれないけれど、輝きを感じたわたしは、感じたままに伝えていこうと思った。
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