見出し画像

小説「春枕」特別編〜隔てゆく世々の面影かきくらし(1)〜

大切な友人へ捧ぐ

🌸

わたしは師走のはじめに生まれた。今年もまたひとつ歳を重ねる。イルミネーションでキラキラ輝く街と、道ゆく人びとの幸せそうな笑顔を眺めながら、帰路を急ぐ。白い雪がちらちらと舞い、わずかに髪が濡れた。ずいぶんと寒くなったなぁとコートの前をかきあわせる。今夜はなんだかちょっとだけ、寂しい。こんな夜は、ホットミルクを飲んで温まってから眠ろう。

家に着いたわたしは、ミルクのカップを握りしめたまま、深い眠りに落ちていたー。 

「ここはどこ?」


気がついたら、真っ暗な空間にぽわんと蝋燭の灯りがともったお店にわたしはいた。


「こちらは春枕。薬草茶でお客さまをおもてなしするお店です。どうぞごゆっくりお過ごし下さい。わたしは店主の春花と申します」 


春花と名乗る女性は、ふんわりと笑った。これって夢なのかしら?夢か現かはわからないけれど、素敵な空間に不思議と心が安らぐのを感じた。


「わたしは綺子(きこ)と申します。実はわたし、今日が誕生日なんです。それなのになんだか今夜はちょっぴり寂しくて。だからちょうどよかった。誰かと話したかったんです」


「師走の季節にお生まれになったんですね。おめでとうございます。

 本日の誕生花は、薔薇になります。綺子さんはとても品のある女性らしい印象を受けますので、白い薔薇がお似合いです。

 白といえば、今日も真っ白な雪が降っていますね。師走のはじめに雪が降るなんて、珍しいわ」


そう言うと、春花さんは温かいローズティーを出してくれた。とても良い香り。


「毎年誕生日が来ると焦ってしまうんです。師走ってただでさえ慌ただしい季節でしょう。それに、一年が過ぎて行くのってあっという間でちょっと怖くなるんです。」


わたしはそう言って、思わず苦笑した。


「師走になると、自分の来し方を色々と考えてしまいますよね。自分の人生、本当にこれで良かったのかって。正解なんてどこにもない。

 だけど人生は、大きなことを成し遂げるよりも、大切な人たちといかに愛し愛される関係を築けたか、が重要になってくるんじゃないかと思うのです。」

「愛し愛される関係かー。生きていく中でたくさんの人と出会い、たくさんの別れを経験してきたけれど、一体どれだけの人とそんな風に深い関係を築けたかしら。なんだかまるで、すべてが遠いことのように思えてしまって。」


春花さんの言葉に、わたしはふと考え込んだ。

「藤原俊成女に、こういった和歌があります。

隔てゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる 年の暮れかな

 まるで雪が降り積もってすべてをかき消してしまうかのように、時が経ち歳を重ねると、たくさんの人の面影が遠くなってゆく年の暮れだよー。人間、時が経てば記憶が薄らいで、いつかは忘れてしまう…。なんだかすっかり遠くに来てしまったようだ、そんな実感を詠んだ歌です。本来は悲しい歌なのですが、わたしはこの歌に優しさを見出しました。

 今までの人生で出会ってきたあの人の記憶もこの人の記憶も遠くなってしまったけれど、その想い出はすべて、しんしんと降り積もる雪の中に消えてゆく。それをただ静かに受け止めて見つめている姿に、なんだかとてもあたたかい眼差しを感じませんか。」


そう言って、春花さんは優しく微笑んだ。


(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?