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「人と比べる=悪」という思い込み

「わたしの自分軸は人と比べることですよ?」

さらりと、
本当にさらりと言われた友人からの一言に、3秒ほど静止した。

だって、「人と比べる=よくないこと」というイメージだったから。


「自分に向き合う」を心がけるようになって、2年と少し。
物事を客観的に見ることや、なにより自分の気持ちを注視してあげることにも慣れてきた。

いわゆる「自分の強み」とは何か?に悩んだこの頃よりは、自分のいいところだとか、強みだとかに対し、ほんのちょっぴりだけれども自信をつけたりした。

けれど、物事を進めれば進めるほどに、自分の未熟なところや嫉妬、不安…といった弱い部分が顔を出す。
「いつもニコニコ明るい元気なわたし」で在りたいし、そうでなければいけないから、”外用の明るさ”を身に纏う。
周りに決して、悟られないように。

昔から弱い部分を表すことを、「してはいけないこと」と考えていたわたしは、’’外用のわたし’’を纏うのもお手のもの。
辛いとかを感じるより先に身に纏える。スッと。
通勤ラッシュも嫌だけどみんな乗るでしょう。それとおんなじような。

もちろん、その状態を解消するためにたくさん、たくさん、考えた。
そして何度も、何度も、行き着いたのが、

「人と比べてしまっているから、ダメなんだ。」

人と比べるという行為、思考に対し、すっかりネガティブな色を付けてしまったわたしは、
「人と比べる理由は、自分に自信がないからだ」
「人と比べるから、気分が落ち込んでしまう」
「人と比べるから、こんな自分についてきてくれる人はいないと思う」
いろんな所からマイナスなものを引っぱってくっつけ、自分のモヤモヤを蓄積していた。

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でもね。
「人と比べる、人が気になるから、人の心の機微がわかるし、寄り添える。」
「人と比べるから、頑張ろうって向上心やモチベーション維持もできる。」
「人が気になるから、いろんな人に会いたくて新しい場所に飛び込める。」
「人が気になるから、気を使える。」

物事は本当に表裏一体で、”わたしの今”を作っている強みもらしさも、この「人と比べる」あってこそのものらしい。

だけれども、「人と比べる=悪」のネガティブ色が強すぎて、たとえプラスに作用するものがあったとしても結局よくないことなのだというイメージになっていた。
きっと「比べる」というコトバに引っ張られてしまっていたのだと思う。
その先に続く意味やニュアンスは全く異なるのに同じ「比べる」を使うから。
コトバのイメージって強い。

あとは、プラス・マイナスの見方をしていたからっていうのもある。
「人と比べる」ことは悪いことでも、ましては良いことでもなくて。
ただの事柄。
幼少期の出来事からかもわからないけど、積み重ねてきたものから形成された今のわたしの性質。

よく、自分を認めよう!ってセリフを聞く。
でも自覚しているよくないところは改善しようと思っていた。
ただ、性質を変えることはわたしには出来なかったし、それは苦しかった。
だってどう頑張ってもそう感じるし、そう考えちゃうんだもん。

それに気づかせてくれた友人との会話。

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一番直したかった「人と比べる」を、わたしの性質、として認めてしまったあとは、悩んでいた他の部分もすんなり直視して自己理解することができたような気がする。

『わたしは、人と比べるし、認められたら嬉しいから承認要求はそれなりにあるし、目立ちたがりだし、自分で全部なんでもやってみたい負けず嫌いだけど、心が弱ってたら頑張ってるね。って寄り添ってほしい。』

『でも、だからこそ、頑張るし、いつでもモチベーション高くいられるし、諦めないし、人の機微がわかるし、寄り添えます。』

開き直りとかではなく、シンプルにこう思っている、ってだけ。
こういう性質だからと言い訳にして見たくないものに蓋をする、努力をやめる。そんなことはしたくない。それはちょっと違う気がする。

けれど、無理やりその気持ちをなくそうとか、ネガティブな気持ちに違いないからダメだとか。
そういう次元のものではないし、それ在りきのわたしなのだと理解したら、ずっとうまくいきそうな。そんな気がした。

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