見出し画像

#22 すごい活躍している人と自分を比較してしまう“劣等感”

この連載は、長年生きづらさを抱えていた私(KOTOBUKI)が、セラピストのKANNA(かんな)さんとの出会いをきっかけに、初めて自己の内面と深く向き合い、本来の魂の道を生き始めるまでの完全実話の手記――。

何をするにもおっくうで、腰が重い……。新しいことを始めても一切続かず、途中でやめてしまうことが多かった私。

そんな長年の悩みをサイキック能力のあるセラピスト、KANNAさんに打ち明けると、理由が判明。この腰の重たさは、過去に私自身が傷ついてできた、“負の感情”によるものだとわかった。

KANNAさんによれば、その負の感情は、「黒いドーナツ型の物体」となって、私の第一チャクラにがっちりと張りついているように視えるとのこと。(詳しくは前回のお話↓↓)。

かなり大がかりになりそうな、この重たい負の感情との向き合いは、次回のセッションに持ち越しとなった――。


「本気で人生変えたる!」と決意


KANNAさんとの対話で見えた、私の内側にある負の感情たち――。

30代の頃に感じていた姉へのうんざりな感情は、胸の奥(ハートチャクラのあたり)に「薄汚れた緑色の物体」として存在していたし、長年悩み続けているこの腰の重たさは、「黒いドーナツ型の物体」となって、第一チャクラにがっちりと張りついている。

薄汚れた緑色だの、黒いドーナツ型だの、私が過去にこしらえた負の感情たちは、なんともバラエティに富んでいる。次はどんな色の感情が出てきちゃうのか、ちょっと楽しみになってきている自分もいた。

そうやって、どんなネガティブな感情が出てきても、「こんなん出ました!」と笑えるぐらい、安心していられるのは、KANNAさんがどこまでも私を受け容れ、どこまでも丁寧に寄り添い続けてくれるからだった。

しかも、KANNAさんは底抜けに明るい。

ハイトーンのかわいらしい声で笑うんだけれど、その飛び跳ねるような笑い声を聞くだけてつられて笑ってしまう。ときどき、天まで届きそうなほどのボリュームで、2人の大笑いが止まらないときもあって、もうそれだけでスカッとして、負の感情も邪気も、半分吹き飛んでるんじゃないかと思う。

こうしてサロンに通い始めて2カ月が過ぎたわけだけど、この間に奇跡のような現実面での変化を目の当たりにし、さらにKANNAさんのカイロプラクティックの施術によって20年来の肩首の激痛も驚くほど軽減した。

私の人生が、心が、体が、一歩一歩、着実に根本解決に向かっている感覚……。

それは、スピリチュアルや精神世界に失望していた私にとって、初めて手にした「希望」だった。

よし、私、本気で人生変えたる! 

まずは、現実が嫌すぎて、ついつい異次元に逃げてしまう私の残り半分の魂を引き戻し、魂全開で生きられる自分になるんだ!

そうなるには、長い時間がかかるかもしれない。1年、いや、2年かかるかもしれない。

つい最近まで、「内面の癒しはあと1カ月ぐらいで終わるかな~??」なんて、お気楽に見積もっていたけれど、それはとんでもなく甘い考えだと気づいた。

私の魂が100%帰ってきて、「生きるのって最高に楽しい!」と思えるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。

でも、その日まで決してあきらめない。

これから待ち受ける長期戦に向けて、ぶるっと武者震いがした。

そのときに書いた、直筆のノートがこれだ。
ちょっとお恥ずかしいが、紹介したい。

「毎日そうじするだけで、ものを買わないだけで、魂は根づくんか?」と疑問だが、それを書いた2年前の自分も今は愛おしく思える。

続いて、読みにくいが、こちらのノートも紹介↓↓

「私は自分の意思で生きる人になる!」
「自分の意に反することはやらない。言わない」
って、至極当たり前のことなんだけど、当時の私にとっては、とても難しい課題だった。

最後の、「一番の味方は自分だよ」の言葉には、今も励まされて泣きそうになる。

活躍する「すごい人」と比較してしまう自分


と、こうして自分の中で決意表明した当時の私だったが、日常のちょっとしたことでブレるときがあった。

ときどきふっと、暗黒に落ちる瞬間があるのだ。

KANNAさんとのセッションを終えて、数日後のことだった。

たまたまFacebookを開いたら、有名なメディア主催の講演会の広告が流れてきた。それを見て、ハッとした。

会社員時代の同期の女性の写真がバーンと大きく掲載されていたからだ。

彼女は名だたる登壇者の中の、メイン人物として取り上げられていた。

華麗な経歴と、その道のプロとして語るにふさわしい実績。著名人然とした、自信に満ちた表情とファッションが光るプロフィール写真。

「彼女、すごい活躍してるんだな……」と思った瞬間、気持ちがズーンと沈み込んだ。会社員時代は同じ土俵に居たと思ったのに、今じゃあ、ぜんぜん違う場所に居る。

どこをどう間違ったら、こんなに差がつくんだろう。同い年なのに、自分はこの数十年、何をやってきたんだろうと、暗澹たる気持ちになった。

気持ちが沈んだせいで、布団から起きる気力がなくなり、ウダウダし始める。そんな風に落ちてしまう自分も、ウダウダして時間を無駄に過ごしてしまう自分もすごく嫌だった。

でも、ここでハタと気づいた。

待てよ。このパターン、前々からよくあった。

すごい経歴の人とか、すごい実績のある人と比較して、勝手に劣等感を感じてしまうパターン。そういうすごい活躍している人を目にすると、あっという間に自分という存在がちっぽけで弱いものに思えてしまうパターン。

自分がちっぽけで弱いと感じたくないからこそ、人前ではついつい自分の実績や経歴をちょい盛りしてアピールしてしまう。

異業種交流会的なイベントや出版業界のパーティで、「どんなお仕事されているんですか?」と言われると、キュっと身が硬くなり、昔一緒に仕事をしていた有名どころの出版社の名前を出して、「私もそこそこ売れっ子のライターなんですよ」と、見栄を張ることはよくあった。

この勝ち負け意識、一体なんなん?? 

ブランドとか、ステイタスとか、数字とか、活躍ぶりとか、表面的なものの優劣で人と自分の価値を測るこの世界観、なんなん?

「生きにくいよ~窮屈だよ~。そんなものぜ~んぶ取っ払って、ただただ素っ裸の自分で楽しく生きたいんだよ~」と、魂が叫んでいるように思えた。

だから、ずっと苦しかったんだ。
ものさしが、魂の幸せ度じゃなくて、他者との優劣なんだから。

この勝ち負け意識や、競争意識こそが、ひょっとして第一チャクラにある黒いドーナツ型の負の感情なんじゃないか? 

と、ピンと来てしまった。

次のセッションで、KANNAさんに問うてみると、まさしく「ビンゴ!」であった。

その負の感情は、私が想像もしていなかった、学生時代にできたものだと判明した――。


続きはこちら↓↓

最初から読んでみたい方はこちらへ↓↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?