おばあちゃんが死んだ話し
おばあちゃんが死んだ話のはじめに
2020年3月10日(火)10:53
おばあちゃんが死にました
94歳と4か月でした。
家の中で苦しまずに逝ってくれたみたいです。
死に目は会えなかったけど、でも良かったな。
家の中で最期を迎えてくれてよかった。
そう思います。
大正・昭和・平成・令和という
4つの元号を生きたおばあちゃん。
昔は大好きだったけど、物心ついてからは
お母さんを苦しめるのも見て
大好きだけじゃなくなったおばあちゃん。
おばあちゃんへの思いと
詩人の僕がおばあちゃんが死んで詩にしたことを描きます。
舞台を創り、詩を描き、ニコ生にも出て、
色んな有名な方にお会いした中でも、
群を抜いて強烈な人でした。
人が死んでこれと同じような気持ちになる日は
ないでしょう。
死んでから葬式・初七日までの6日間の
詩人の僕のまっすぐなおばあちゃんと家族への思い。
今回、色んなところで、詩に説明は必要ないと言っている僕ですが、
説明まではいかない詩の補足みたいなものも描いてみようと思ってます。
できた詩と、その時の気持ちを書き留めておきたいと思ったから。
出来れば、僕の補足を答えにしないでください。
詩を読んだときの手触りを何より大事にしてください。
以下目次です。
目次
・(最初に:おばあちゃんが死んだ話のはじめに)
・おばあちゃんは性格がとても悪く僕も人のことは言えない
・京都の家と僕のコト
・死ぬ二日前の不思議な話・詩1:起きた話し
・詩2:正解の顔
・詩3:こないだg(グラム)
・詩4:自分の心臓の音と分からなくなりそうだ
・詩5:謎夜 14、謎夜 柩の望み,謎夜 何してる,謎夜 燈籠牡丹
・詩6:それは固執か本質か
・最後に:詩人のおばあちゃんが死んだんだ
おばあちゃんは性格がとても悪く僕も人のことは言えない
おばあちゃんはとても強烈な人でした。
京都で生まれて京都で死んだ死ぬほど見栄っ張りなおばあちゃんは
家族としても見ても、たぶん、他人として見ても
とても強烈な人だった思います。
僕の37年生きてきた人生の中で、3本の指に入る強烈な人でした。
簡単に言うと性格が悪いんです。えげつないんです。
まだノートの記事も二つ目なので、僕のことも書いておきます。
僕は舞台の演出をしたり脚本を書いたり、詩を描いたり、
あとは漫画家山田玲司さんがパーソナリティをつとめる
ニコ生の放送に出て生きています。
https://ch.nicovideo.jp/yamadareiji
とても人に会うことが多い職業で、
俳優やダンサー、ミュージシャンや、
漫画家、画家、デザイナーなど、
モノづくりをしている癖の強い方と
お会いすることが多いです。
世間的に有名な方にも何人もお会いしてきました。
演劇では名前の分かる役者さんや演出家の方、詩人も、日本で詩人と言えばこの人だろう?という国民的な詩人の方にも。
二コ生の番組にゲストで来ていただいた漫画家さんだけでも、
東村アキコ先生や
one先生、だろめおん先生、春原ロビンソン先生など
今をときめく、とても強烈な個性を持つ魅力的な方ばかりです。
その僕が、今まで出会った強烈な人間を3人上げろ
と言われたら「一人は絶対おばあちゃん」と断言するほど強烈な人でした。
3つ例を挙げます
・8人か9人の兄弟(戦争で亡くなった方もいますが)全員と絶縁している。
簡単にいうと自分に同意しなかったからというのが全ての場合の原因です。
自分が中心に物事が回らないと激しく怒り相手を完全に断絶して、
自分が正しいことを自分の周りに残った人に証明し続ける。
そんなおばあちゃんでした。
・友達ともほぼ全員絶縁している
おばあちゃんは人生において絶縁癖がついていて、
話を聞く耳を持たず、意見が違うとすぐに絶縁したそうです。
絶縁すると一緒に旅行に行って遊んだ写真も
全て燃やすなどしていました。
怖かったです。
・生まれた家のことを忘れなさい
母は嫁いできたときに「今まで生活していた生まれた家のことは忘れろ」
と言われたそうです。
「年賀状も久世の家に入る前の知り合いには誰にも出すな」と言われ
泣きながらこそこそ友人に電話をして、
これからずっと年賀状が出せない理由を伝えたそうです。
(今回の話と関係はないけれど、それでも父と別れなかった母は母でそれは凄いことだと思います)
あとは、昔、地主だったらしく、
昔の自分の土地に立っているロイヤルホストにいったときなど毎回
「ここ昔、私の土地だったけど知ってる?」
と何もわかるわけのないバイトの青年に話しかけて謎のマウントを取る(取れてない)とか、
「この壁、龍が浮き出てきた」と、壁のヒビにかなり無理目の理由をつけて
ありがたがらせるとか。
まだまだありますが、ここに描けるのはこれくらいですかね。
京都の家と僕のコト
僕はおばあちゃんの産んだ長男の息子でした。
なので、たくさん可愛がられました。
それだけの理由でたくさん。
小さい頃は何もわからず優しさが
嬉しかったおばあちゃん。
でも、きっちりと長男の息子とそれ以外の孫には線を引き、
僕にまで謎の選民思想を植え付けようとしてきたおばあちゃん。
とてもとても人間として味わいの深いおばあちゃん。
最近はあんまり会ってなかったし、
会ってもほとんど笑顔でうなづいたり
手、足、腰、胸のどこかが痛いというだけで、会話にはならなかった。
でも、昔のおばあちゃんの人としての「業」のようなものが
どんどん剥がれていってかわいくかわいく少女のように
仕上がっていったこの12年。おじいちゃんが死んでから12年。
まずはおばあちゃんが死ぬ二日前に起った不思議な出来事
を描いた詩から紹介していきます。
死ぬ二日前の不思議な話・詩1:起きる話し
おばあちゃんは死ぬ2日前に
「おとうちゃん、そろそろ起きなあかんね」
と言った。
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