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情けないけど、ある朝の話をします。


ある朝の話。
いつか、機会があれば、あなたにしようと思っていた話なんだけど。
いつか、あなたにもそんな日が来るんじゃないかなと思ってるんだけど。

わたしが、顔も名前も性別も、性格もどんな風に笑うのかも
何にもわからない人を愛おしく思ったときの話をします。


仕事から帰って一息つくと、兄から父に電話があった。
2019年11月13日のこと。

「そうか、そうか。」と相槌を打ちながら、父は目を細めちらりとわたしを見た。
リビングにわたしと父、台所に夕食の準備をする姉がいた。

「お兄ちゃんとこ、子どもできたんやってさ。」
少し携帯電話を離して、わたしと姉に向かって父が静かにそう言った。

「やったーーーーーー!!!!!!!」

わたしは両腕を振り上げて拳を突き上げた。
リビングにわたしの大きな声が響いた。
姉は電話の内容よりも、わたしの声に驚いていた。

わたし自身もびっくりしていた。
そんなマンガに出てくるような喜び方をする人間がいるなんて。
マンガやドラマの中でしか見ない喜び方だと思っていた。
単純にびっくりした。すごくすごく驚いていたし、たぶん興奮もしていた。
つい突き上げた拳をちらっと見た。

ああ、なんだ、、なんだ?!
わたしってこんなにも喜べるのか。
知らなかった。

父は目尻が下がり口元を緩めた顔でわたしに携帯電話を預けると、
タバコを吸いに外へ出た。

「お兄ちゃん!!おめでとう!おめでとう!!すごいね!!よかったね、よかったね!!」
興奮のままに電話口の兄に向って叫ぶと、
「うるさ、、、。うん、ありがとうね。」と返ってきた。


わたしは、翌朝になってもなんだか落ち着かなかった。
通勤電車に揺られながら、本を開いていたけど一行も読み進めていない。
開きっぱなしの本を持って、ぼんやりと昨夜の出来事を考えていた。

(そうか、、そうか、、お兄ちゃんところに赤ちゃんがくるんだ。
 嬉しいな、すごい。お兄ちゃんお父さんになるんだな。
なんかワンピースのルフィーみたいな喜び方しちゃったなぁ。
 びっくりしたな、なんであんな風に喜んでたんだろう。
ああ、こんなにも嬉しいことなのか、家族が増えるというのは。)

会社の最寄駅に着いて、駐輪所に自転車を取りに行ってもまだまだぼんやりしていた。
会社の最寄駅から会社まで自転車で10分。

ぐっ、とペダルを踏む足に力が入る。
なんでこんなに嬉しいんだろう。
毎朝、憂鬱な気分で進んでいた道だった。
その日の朝は、ぐんぐん、ぐんぐん、どこまでも進んでいけそうな気がした。
朝のすがすがしい風の中を自転車で進んだ。
風がびゅうっと吹くのにも、なんだか感動して涙が出そうだった。

ちょうど1年前は、「死にたいな」なんて思いながら進んだ道だった。
情けない話なんだけど、本当に情けなくて自分自身にうんざりするような話なんだけど、そんなことを思っていた日々があった。

ちょうど1年前、その頃のわたしは、セクハラにあったり仕事が行き詰まりまくったり、そもそも仕事の社会的意義が分からなくなったり、自分がやっていることの価値が分からなくなって、自分の存在意義まで見失っていた。
もうとにかく何もかもがダメダメで、学生時代のバイトから唯一のトレードマークだった笑顔でさえも、表情が強張ったまま口角が上がらなくなってしまい愛想笑いもできなくなっていた。
男性がそばに来ると、全身に鳥肌を立てていた。
頭では大丈夫だとわかっていても、身体が震えてしまい情けなくて情けなくて惨めだった。
頭では分かっているのに、そんな自意識過剰な自分も情けなく弱い自分も嫌で嫌で仕方なかった。
だんだんと心の余裕を失い感情のコントロールも難しくなって、できていたことができなくなっていた。どんどん自分が嫌になっていった。
そんなこまごまとした小さな絶望を、上手く処理しきれないバカで愚かな自分もひどく惨めで情けなかった。
通勤中、頭の先を線路の方へふうっと持って行かれるような感覚に「ああ、人ってこんなことで死にたくなるんだな。」と妙に落ち着いて思った。

他の人から見れば、ありふれたひどくちっぽけな話なんだけど、
そのときのわたしはそんなことを思っていた。
「日本の自殺者数は年間3万人。」
学生のときに聞いた言葉を思い出し、今、わたしが死んでしまえば、三万分の1になるんだ。とぼんやり思っていた。


なんやかんやでゆっくりゆっくりと回復し、
兄夫婦が子どもを授かったという知らせを受けた翌朝。
2019年11月14日のこと。
わたしは、とても不思議な気分だった。

むくむくと、ぼこぼこと、
おなかから沸騰するように湧き出て全身を包み込むような
温かく込みあげてくる、この気持ちは何だろう。

自転車は地に足をしっかりと下ろし、踏みしめるようにぐんぐんと進む。
憂鬱な気持ちを引きずって進んでいたこの道が、輝き光ってとてもまぶしい道に思えた。
朝の風が、熱くなった頬をするりと撫でて、すり抜けていく。
ハンドルを握る手に、ぎゅうっと力が入る。

ああ、なんだ、なんだ。
人ってこんなにも望まれて、愛されて生まれてくるんだ。

わたしが去年、3万分の1として数えた命は、
こんなにも力強い輝きに満ちたものだったんだ。

もう生まれてきてくれるだけでいいよ。
本当にそれだけでいいよ。
生まれてきてくれさえすればいいよ。
特別な才能とか、飛びぬけた美貌とか
そんなものはいらないから。

そんなものなくったってあなたからもらった幸せは数えきれないから。
あなたがいるだけでいいんだよ。
あなたがいてくれたらいいんだよ。
ただ、あなたと会ってみたい。
ただ、あなたとお話ししてみたい。

あなたがどんな声で話すのか。
あなたがどんな風に笑うのか。
あなたがどんな風に泣くのか。
あなたがどんなことで怒るのか。
あなたがどんな人になるのか。

それを考えるだけで、こんなにも胸の中が温かくなってしまう。

あなたとどんな話しをしよう。
あなたはどんなことを話してくれるだろう。

自転車に乗りながら、わたしは顔も名前も性別も、性格もどんな風に笑うのかも何にもわからないあなたを愛おしく思った。

まだ生まれてもないのに。

どうかどうか、何事もなく無事に生まれてきてくれますように。
大切な命ひとつを持って、元気に生まれてきてくれますように。

そんなことを思いながら、職場の駐輪所に自転車を停めた。


2020年9月26日
言葉の企画のnoteには、どんなことを書こう。
うんうんと考えながら、わたしの腕の中ですやすやと眠るあなたを見た。
すー、すー、と静かな寝息を立て、ぽっかりと口を開けて眠るあなたに、
何とも言えない愛おしさが込みあげてくる。
抱っこして30分、ずっしりと重くなり、腕がしびれてきた。
これを夜通し、、?と想像してゾッとした。
本当に世の中のお母さんたちには頭が下がる。

「大好きだよー。」とあなたにこっそり話しかけた。
ありがとう。生まれてきてくれて。
こんな大変な年に生まれてきてくれて、ありがとう。
お兄ちゃんの家族になってくれて、ありがとう。
わたしの家族になってくれて、ありがとう。

死にたいと思っていたあの日々があったからこそ、こんなにも強くあなたを思ってる。
あなたが生まれてきてくれた特別な出来事に、自分でも驚くほど感激してる。

あの朝の感情に、名前をつけるなら。
『おばの目にも、泪』

できるだけ、なるべく、多くの、
あなたに、たくさんの幸せがあるように。

以上、あなたの叔母からでした。

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