現在地を教え目的地まで見守ること

掛け算を教えて、掛け算の意味がわかるようになる子というのは、教える前から、その前提になる知識が身についている子に限られる。

反対に、足し算の意味を自分なりに説明できる素養が備わっていない子供に、掛け算の意味を一生懸命教えたところで、掛け算の意味がわかるようになる、ということはありえない。

そう考えてみると、教えるだけで、ある人がある知識を習得し、自分のものにできるということは、基本的に教える側の能力にはよらず、学ぶ側の素養が備わっているかどうかによるところが大きい。

極端なことを言えば、動物に車を見せて「ブーブ」と教え込んだとしても、動物は、絶対に他の車を見て「ブーブ」と言えるようになることはありえないのと同じ。

そのことをわからずに、「教える」という働きを課題評価している人は、「私が教えたおかけでこの子はできるようになった」とか「私の教え方が悪いからこの子はできないんだ」とか、事実とは異なる思い込みをしてしまっている。

そして、多くの場合、この思い込みが、指導者を傲慢にさせ、学習者を圧迫してしまう1番の要因となっている。

学習が順調に進んでいくかどうか鍵は、本当は、指導者のおかげでも、指導者のせいでもなく、その人が今学ぶべきことと、学んでいることのレベルが一致している、つまり、課題が最適化されているかどうかにある。

よって、指導者の役割は、全体を俯瞰してそこを一致させることと、個々人が自らの課題に取り組み、そこに向き合い続けられるサポートをすることにある。

子供達にとっては、今自分が取り組むべき課題がわからないし、わかったとしても、自分1人で自分の課題に向き合い続ける力はない。

※子供をはじめての場所へ行かせるのに、地図も与えず、付き添いもしないのは、明らかに指導者の怠慢。放任主義というのはこれにあたる。

支援すべきは、実はこの2点なのであり、その他の支援は実は恩を着せるか邪魔をしてるか、どちらかになりがちである。

既存の学校のように、一斉に何かを教え、何かをやらせているだけの場所では、平均的なスピードで学習が進む子供にとってのサポートにはなっても、発達が早かったり、遅かったり、平均的ではない子供にとっては、残念ながら、邪魔をしているとしか言えない。

この点は、早く改めて、個々の課題を明確にして、教えるのではなく、自ら課題に取り組むサポートをすることに着眼すれば、今すぐにでも、学校教育は飛躍的に改善することができる。

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