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言葉の限界を考える。

先日、コピーライター・糸井重里さんの「すいません、ほぼ日の経営」を読んだ。

同じ本を読んだ友達が「こんな風に、難しい言葉を使わずに話せるようになりたい」と言っていた。

私は「でもこの本は、簡単な言葉で、すっごい難しいこと言っているよね」と返した。

好きなものについて考え続けたり、興味のあることを続けたりすることが、人の能力を伸ばしていきます。それを邪魔されないことが「集中」ということの本当の意味なのではないでしょうか。

例えば、この一文。難しい言葉は一切入っていない。

でも、しっかりと意味を理解するには、好きなものについて考えた経験や、興味があることに熱中していたときを思い出して、それが自分の能力を伸ばしてくれたかを考えなければいけない。

しかも糸井さんは、それが「集中」だと言う。その新しい定義を、自分が今まで信じてきた「集中」という言葉のイメージや意味と比べて、納得して初めて、この文章を理解したと言えると思うのだ。

そもそも私には、この言葉の意味を完全に理解できる自信がない。

糸井さんと、たった20年しか生きていない私では、積んだ経験も物事を考えてきた時間にも、差がありすぎる。

きっと私が今、そんなことない!と思ったところで、それはただ私が未熟なだけ。

つまり納得するには、しっかりと書いてあることについて考える時間や気力を持つだけでなく、それに納得するだけの経験や、考えた時間が必要なのだ。

そういう意味でこの文は、簡単な言葉で、すごく難しいことを言っている。

でも逆に言えば、この本に詰まっている言葉は、宇宙に広がるありとあらゆるものの中で、言葉で表せる範囲ギリギリの、一番広い部分をカバーしているんだと思う。

言語哲学者のウィトゲンシュタインは、「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」という名言を残した。

私たちは言葉で表せないものについて、考えることすらできないのだ。

それでも、その言葉ができるギリギリのところまで、少しでも広い世界を表そうと抗った結果が、あの本にあるんじゃないかなって。

そう考えると、わくわくする。また、何度でも読み直したい。そんな本だった。

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