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やりがいのある仕事が、いい仕事

数ヶ月ぶん溜まっていたクリエイター用のオンラインセミナーを観ていて、やっぱり共通していることがあるなと思った。

それは、企画を遂行するには、個人の熱量が中心になければいけないということ。

企業の採用面接を思い描いたときに、自分がそれをやっていて楽しいから、自分がやりたいことだからと言ったら、落とされる気がする。

もちろん言い方の問題ではあると思うけど。

でも、大きなことを成し遂げた人に、イヤイヤ仕事をしている人はいなかった気がする。

仕事と自分の楽しみを切り分けると、一日の三分の一を好きでもないことにとられるし、仕事に一日の三分の一以上を割けない。

どっちにとってもマイナスになる。そう私は思っている。

私は、好きな仕事というか仕事の選び方は、それに求められる勉強をたのしくできるかだと学んだ。コピーライターなら、アイデアの出し方や言葉の表現方法。私にとっては自分から趣味として本を読みたくなるものだが、好きじゃない人にとっては、最後助詞を「を」か「は」で迷う時間、どちらがいいのかと学ぶ時間は苦痛でしかないだろう。

そして逆に言えば、仕事や企画の中心にもっと個人の熱意が来てもいいと思うのだ。

以前から、社会への有益性を何度も説明することなく、その人が興味を持ったからという理由で研究が許可される世界になればいいなと思っていた。軸が社会への有益性、今でいうお金になるかではなく、その人が幸せになるかどうか。

今私が取り組んでいるプロジェクトでもそうだけれど、実行者の幸せがお金を生むから、やりがいを大切にすべきという意見と、実行者の幸せを軸に、それを一番の価値としてやりがいを大切にすべきという意見はそもそも価値観がズレている。前者は、もっとお金を生む方法が発見されれば、幸せが低くてもその方法を選ぶことになる。

それらの区別というか、自分がどっちの論理を使っているのかは認識していたいと思う。もっとも、経済を求め続けたとしても、幸せを求める世界に切り替えたとしても、やることは同じになっていくのかもしれないけれど。

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