見出し画像

15年前に経験した、忘れたくても忘れられないある失敗の話

2006年、入社1年目の冬。痛恨のミスを犯してしまったときのお話です。


顚末

当時、中日新聞の朝刊に名だたる文豪の作品を連載していました。1年目の私は同期とともに、実際に新聞に掲載されるテキストを底本と引き合わせて確認する「小説班」の一員でした。

いろいろなジャンルの作品を取り上げていましたが、その一つに坂口安吾の『堕落論』がありました。

いつものように作業を終えて、1回目の掲載日を迎えます。

堕落論1

当時のタイトルカット

文章は底本としっかり照合し、紙面に載る形での全体的なチェックもしたつもりでした。しかし結果的に確認が至りませんでした。申し訳ないことです。


実はこのカットに間違いがあるのですが、みなさんはもうお分かりになりますか?


第2回以降に掲載されたのはこちらです。

堕落論2

「訂正」も添えられました。

堕落論 訂正

そう、1回目のタイトルカットの「論」の字に、あるはずのない横線が1本余分に入っていたのです。


原因

このミスを防げなかった原因を、15年たった今あらためて振り返ってみます。

まず致命的なのですが、そもそもこのような間違いが起こるとは頭の片隅にもありませんでした。

そして底本と引き合わせて文章が間違っていないか確認することがメインの作業になっており、そこに脳みそが支配され、その他の部分への注意が十分ではありませんでした。


学び

間違いが分かった後、当時のデスクからアドバイスを受けました。

「この手のものは手で描いていることがあるから、そういうものは実際に文字の上から自分で書くようになぞるとよい」

それ以来ずっと、四コマ漫画などの手書きの文字は必ずなぞるようにしています。そうすることで一文字一文字ではなく、一画一画確認できますし、間違っている字があると違和感を得やすくなります。実際それで間違いが見つかり、未然に防げたこともありました。

もう一つ学んだことは、紙面を構成するそれぞれのパーツが校閲部に届くまでにどのように作られているのかを知る大切さです。
小説のケースでは「このようなタイトルカットを手でデザインすることもある」ということを知っていれば、十分警戒して確認していたと思います。逆にパソコンなどで普通に打ち込んで変換している文字に対しては「論の線が1本多いかもしれない」なんていちいち考えながら確認する必要はありません。


応用

新聞製作はときに時間との闘いを強いられます。時間がないときにどういう動きができるか。外からは見えにくいですが、ここに校閲記者としての一つの差が表れると思っています。

限られた時間内では、所々細かいほころびはあったとしても、自分に与えられた守備範囲全体で最適になるよう個人的には心がけています。

そして国政選挙のときなど緊迫した場面で、作業の優先順位をつける助けになるのが、先ほどの「どのように作られているかを知っているか」ということです。

新聞製作にはある程度自動で生成されている部分もあれば人の手で作られている部分もあります。時間がないときに自動生成の部分を一生懸命見るよりも、人的ミスの起こりやすい部分に時間を割いた方が間違いを防げる確率が上がります。

1年目に経験したミスは、その後に生きる教訓につながりました。

この記事を書いたのは
上田 貴士
2006年入社、名古屋本社校閲部。11年北陸本社校閲課。13年名古屋本社校閲部。現在はニュース面を担当。