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【新古今集・冬歌4】寝ぼすけ息子・朝の月・紅葉と筏士

 息子たちは朝が弱い。目がなかなか覚めない。目が覚めた後もご飯を食べる手がゆっくりだ。
 小学2年生の長男が通う小学校までは徒歩で30分ほどかかる。一昨日は7時30分に家を出て学校到着刻限の8時に間に合わなかったらしい。昨日は7時25分に出たが間に合わなかった。冬の寒さで足が遅くなっているようだ。

 ご飯を食べるのが遅いのは身体が目覚めないからかもしれない。そこで今朝は6時20分にベッドから引きずりだした。体を抱えて靴を履かせて外に連れ出す。
「さむいよぅ」
 玄関の外で立たせる。息子は目を閉じている。
「さむいねぇ」
 寒いので手を繋ぐ。繋いだまま走り始める。 
 息子は目を閉じたまま走っている。口角がちょっと上がっている。

 「さむかった!」
 家に帰った息子は大げさに震えてみせた。弟に寒さを語る顔はニヤニヤしている。それから朝食を食べる。いつもより少し早い。
 7時20分に家を出ることができた。今日は間に合ったみたいだ。

 夜は次男と風呂で遊んでいていつまでも出てこなかった。
 廊下と洗面所と風呂の電気を消した。すると二人で大騒ぎをしながら上がってきた。半泣きの次男が
「パパのばかあ!」
と怒る。くせになりそうだ。


「ねえ月」と見上げる君に「月だね」と
返せる朝は後何度かな


 ☆ ☆ ☆

筏士よ待て言問はむ水上は
いかばかり吹く山の嵐ぞ
(新古今集・冬部・554藤原資宗)

(訳)
筏士よ
少し待ってくれ、聞いておきたいことがある
川上の方では
どれほど吹いているのだ
山の嵐が

 新古今集の冬歌を読んでいる。
 553番歌からしばらく紅葉の歌が続く。今回の歌も「紅葉」という言葉は一度も出てこないが紅葉の歌だ。


 古今集に載る歌に

竜田川紅葉葉流る神奈備の
御室の山に時雨ふるらし

(古今集・秋歌上・284・よみ人知らず)

(訳)
竜田川には
紅葉の葉が流れる
神奈備の
御室山に
時雨が降っているようだ

という歌がある。この歌に限らず眼前・身近の現象から遙か遠くの季節の変化に思いを馳せる歌は多い。定番・伝統と言って良い。

 「筏士よ」歌はこの伝統に連なる歌だ。しかしあえて紅葉はあえて登場させない。眼前の景に盛り上がる周辺だけを描く。中心部であるはずの景そのものを空白にする。かなめの紅葉は読者の想像に委ねるのだ。
 怪異そのものではなく怖がる人々を描いて恐怖を煽るジャパニーズホラーの手法のようだ。上手いと思う。

 作者の資宗は11世紀後半の中級貴族。賢人右府・実資の曾孫にあたる。しかし実資の莫大な財産は娘の千古ちふる一人に相続された。千古は「かぐや姫」と呼ばれたという。親馬鹿が極まっている。
 実資の息子の資平は養子だ。財産はもらえなかったが公卿にはなれた。その子の資房も公卿までのぼった。しかしそこまでだった。資房は大権力者の頼通と対立した。しかし金がなかった。そして政治的に敗北した。そのままこの世を去った。資房の子の資宗までくると完全に没落貴族だ。四位の少将になるのが精一杯だった。後に出家している。ストレスが名歌を詠ませたのだろうか。


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