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こそこそする貴公子 伊勢物語5

1 ALSOK至上主義

 「二条后」関連の第三話です。あたかも一連の物語のようにまとめられていますけども、おそらくこれらは別々のクリエイターによる二次創作集。つまり「業平×二条后推し」の同人作家が、それぞれの趣味に走った結果の「書いてみた」をまとめたのがこれらです。
 ですからこの第三話も、前の話は無かったものとして、ストーリーが展開していきます。ひじきは葬り去るべき黒歴史。
 それでは今回の話を見てみましょう。

 むかし、男ありけり。東の五条わたりに、いと忍びていきけり。みそかなる所なれば、かどよりもえ入らで、わらはべの踏みあけたるついひぢの崩れより通ひけり。人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑて守らせければ、いけどもえあはでかへりけり。さてよめる。
   人しれぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななむ
とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじ許してけり。二条の后に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、兄たちの守らせたまひけるとぞ。

 いや塞ぎなさいよ。
 塀が崩れてんなら、ALSOKより先にシルバー人材センターかなんかに頼んでまず塀を直しなさいよ。工賃より人件費の方が安いって、戦前か。
 ・・・戦前でした、あらゆる意味で。
 とまれ、訳を示しましょう。今回は川上弘美氏にお願いします。

 男がいた。
 京の五条あたりへ、人目をしのんで通っていた。
 ひめた通い路ゆえ、門からではなく、こどものやぶった塀の崩れから出入りしたのだ。
 たびかさなるおとずれに、家のあるじがいつからか男に気づいた。
 夜ごと、見張りがたてられた。
 男は、女に逢うことがかなわなくなった。

   人知れずわたくしが通う
   その通い路にたつ関守よ
   どうか夜ごと夜ごと
    寝入ってくれればいいものを

 男が詠んだので、女はひどく心をいためた。
 あるじも気持ちをうごかされ、男を許した。
 この話は、のちに二条の后となる女のもとへ、男がしのんでゆくことが噂になり、女の兄たちが見張りをたてた、という逸話がもととなっているとされる。

 前回書いた通り、「五条」という地は二~四条という最上級の住宅街に対してはやや劣る土地です。貴顕の邸宅はあるものの、周囲には身分の低い者たちの住居なども立ち並んでいます。土塀の一部が子どもに蹴破られたままになっている、というのも、この土地の雰囲気を感じさせる一コマでしょう。
 さて、今回の恋愛の進行度はどれくらいでしょうか。家の主が男の侵入に気づいて門番を立てるぐらいですから、もちろん「所顕」などしていようはずもありません。
   ⑦御簾が退けられ、そうして情を交わす。
という状態が断続的に保たれている状態では無いでしょうか。
 後に二条の后となるべき、藤原家の高貴な姫君です。ですが父親は15才の頃に亡くなりました。叔父が面倒を見ていたようでしたが、帝に対するお披露目のニュアンスもある五節舞姫を務めた18才から、ずいぶん間を置いて25才で入内。
 ひょっとすると入内までの7年前後は、この姫君にとっては将来を悲観せざるを得ないほど何も無い、手持ちぶさたな、そして世の男達からすると「隙のある」状態だったのかもしれません。

2 Lesson5 あたしをどうしたいのよ 

 さて。微妙な立地の邸に住まわされた、父亡き姫君。流れる血が高貴とはいえ、後見に立つ叔父には実の娘がいる。とすれば自分は叔父から見ての優先順位が2番目以下となるはずで、ひょっとするとこの先日の目も見ないかも知れない。
 自らの血と美貌をもてあましながら鬱々とした日々を送る姫君。そんな姫君の下にあらわれる1人の貴公子(長めの黒髪をかき上げながら登場する、軽い闇落ち系当て馬美形男子)。さて姫君は、何を思ってこの貴公子を受け入れたのでしょう?というわけで、今回のお題です。

Lesson5 姫君視点で物語を再編集しなさい。

 姫君からすれば、不安定な自分の立場を決めてくれる男の出現だったのかもしれません。それなのに、男の存在が知られ始めたとたん、叔父たちは排除しようとする。今まで放っておいたくせに、自分で生きる道を探ろうとしたらシャットアウトなんて、自分勝手すぎる、私は道具じゃない・・・!
 何て思っていたかどうかはともかく、この話を創作したクリエイター氏は、姫君と貴公子の恋愛をだいぶ応援したかったようですね。
 姫君、貴公子、そして「あるじ」の思惑をそれぞれ考えてみて、姫君視点の物語として再編集してみてください。よろしければ「伊勢物語に参加してみよう1」で私が行った「美人姉妹2人視点の再編集」を参考に。

3 最後に少しだけ、「二条の后」の年譜。 

 二条の后。藤原北家の姫君、とだけまとめるにはあまりにも奇異な在りようだった后としての生。少しだけ整理してみます。年は面倒くさいので全部西暦で。

842年 藤原長良の子として生まれる。
856年 15才。父、藤原長良死去(権中納言)。良房が養女に?
858年 17才。清和天皇(9才)が即位。
859年   18才。清和天皇即位にともなう大嘗祭で、五節舞姫を務める。
866年   25才。入内、清和天皇(17才)の女御。
868年 陽成天皇を生む。
896年 高子建立の東光寺僧善祐とのスキャンダルにより廃后。

 今回の話が上記年表のいつ頃に該当するのかは分かりません。もとよりフィクションですから、そんな想定自体に意味が無いとも言えますが。ただやはり先ほども触れた通り、859年以降の宙ぶらりんな7年間は、想像力豊かな平安同人達の心を揺さぶるに足るものだったのでは無いでしょうか。 

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