思考力は子供の頃に形成されるもの

自分の考えを伝える…という行動の中で、意見する事と強要する事というのは非常に近しい間柄だなと思いました。唐突です。でもわたしの考え事なんていつもこんなもんです。思い付いたら書き散らかす、それがわたしだからね。
というわけで早速書き連ねていこうと思いますよ。

日々生活、仕事をしていく上で、自分の意見を伝えたり相手の意見を聞いたりってのは当たり前に発生すると思います。
ここでわたしが思ったのは、どの目線からであれ、目下の人間からの意見は「ひとつの意見であり従う必要はない」であり、目上の人間からの意見は「半命令であり可能な限り従わなくてはならない」になっているのではないかということ。
実際には目上の人もひとつの意見として選択肢に入れておいてねくらいの気持ちで言ったのかもしれないですが、目下の人間の立場からすればそう捉えるかどうかは怪しいものです。

では何故、このような事態に陥ってしまうのかというと、わたしは教育そのものに原因がある気がしてなりません。
というのも、子供の頃を思い出してみてください。
あの頃、大人に可愛がられた、評価されていた友達はどんな子供でしたか?
素直に言う事を聞き、悪いとされた事はせず、勉学に励み、己を高めようとする…そんな子供ではありませんでしたか?
わたしはね、これをよしとしない考えの派閥なんです。
素直?それは裏を返せば鵜呑みであり、利用するのにこれ以上便利な性格はありません。加えて努力家であれば、自分の分まで努力してもらって利用出来ると考えたらまさに理想の奴隷です。

子供は何でも疑問を持つべきだと思うし、納得出来ないのであれば徹底的にwhyをブチまけるべきなんですよ。
屁理屈と言われようが何だろうが、とにかく徹底的にです。怒られてもやめるべきではありません。
なぜなら、それこそが1人の人間としての「考える力」を育てる最も近道だと思ってるからです。
お勉強でも考える力は身につくだろう、確かにその通りです。お勉強も大事ではありますが、それはあくまで「定められた道を正しく行くために考える力」であって、「道無き道を進む力」ではないのです。ニアイコールではあれどイコールではないんですよ。
で、大人になった時、本当に必要になるのってどっちの力なんでしょうか?後者であることは言うまでもないですよね。

誰しも言われた事に対して従順に従う必要はない、とわたしは常々思っていて、命令を出すのであれば従うに値する理由を提示しろと思うタイプの人間です。
その理由を省くならまだしも、理由のない人間が世の中多すぎるんですよ。ただそうしたいから、そうさせたいから、そうして欲しいから…そんなのは理由ではなくただのワガママです。理由を問われた時に答えられないってのは話になりません。
でも、それに対して何となく従ってしまう、相手が目上だからという理由ひとつで自分自身を納得させる事が出来てしまう人もまた多くいて、確かにそんな人々がこれまでの日本を支えてきたのも事実ではあります。
が、これまでの日本とこれからの日本の大きな違いは、そんな従順な人々の暮らしを保証しない世の中になっている事なんです。
終身雇用がなくなった事を見れば一目瞭然で、どんな大企業に入ったところで、死ぬまでその地盤に立っていられるかどうかなんて、誰にもわからない世の中になっているんですね。
そしてその地盤が崩壊した時、求められるのは奴隷の力ではなくサバイバーの力なんですよ。現代社会におけるサバイバーってのは、どんな環境でもとりあえず生き抜く事の出来る力、つまり思考力と適応力の高い人物の事を指します。

そういった人物に後からなろうと思ってもそう簡単になれるものではありません。
なぜなら、そういった人物は昔から習慣のように頭を回転させる癖を持っていて、常に色々な事柄に疑問を持つし、その疑問に対して自分なりの解答ルートで分析を行い、解決項、持ち越し項…と言わば全ての事柄に対して自分なりの結論を出し続けている人だからです。
普段から他人に付き従う事で自分を形成してきた人間に真似をしろと言っても無理な話なんです。そもそもスタートラインの疑問を持つ時点で派手に蹴躓いて転倒間違いなしです。疑問が見つからないですからね。

だからこそ子供のうちからたくさんの疑問を持つべき。
もちろん資質的な問題でそうならない子供もいるでしょう。性格的におとなしい子、おっとりした子というのもいます。それなら大人の側から「これは何でだろうね?」「不思議だね〜どうしてこうなるのかな?」と疑問を提示してあげればいいのではないでしょうか。

下手したら叩かれるかもなーという覚悟も込めて言わせて頂きますが、危ないからやめさせろ、学校にも責任がある、優劣をつけるなとか文句を言う時間があったら、子供と一緒に考える時間を作ってあげてはどうですか。
そうすれば子供の方から勝手に「納得いかない」と言い出してくるでしょう。もっと進めば、納得いくまで整理して考える、それでも納得出来なければ親に泣きつく前に噛み付く、くらいまで成長するんじゃないでしょうか。

もちろん、学校の教諭も人間ですから、いい人からクズまでたくさんいます。が、ここ最近の流れを見ているとクズ認定するのが早すぎるんです。ちょっと納得いかないことがあれば熟考することなく攻撃、晒し上げ、吊るし上げ。
はっきり言いますけど、見ていて恥ずかしいというか哀れですよ。頭悪いんだなこの人、ネット上で同類募って陰口叩く事くらいしか出来んのだな、生産性のない人だなっていう感想しか出てこない。

でもまぁ、一概にこういう人が全て悪いわけではないんですよね。もっと突き詰めればそういう奴隷を育てる教育をよしとしてきた昭和平成の流れが諸悪の根源なので、これを機に「きちんと自分で考える子供」を育てるついでに「おかしいと感じたら最後まで考え抜く大人」になる事を目指してもいいんじゃないでしょうか、とわたしは思った次第です。

時間は戻らない。
でも出来る事がなくなったわけではない。

そういう事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?