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香り

最後まで人が忘れられないものは、香りらしい。

まず声を忘れる。それから体温を。次に、形を忘れ、言葉を忘れ、顔も忘れる。それでも最後まで忘れないもの。暴力的に私たちを立ち止まらせて、一瞬にして現在から過去へと突き飛ばすもの。正確に身体に埋め込まれた、時限爆弾のようなもの。

香りという形のないものを的確に表す言葉がないから、人はまずそれを意識的にも無意識的にも、藁をも掴むようにして、記憶するのかもしれない。かつて好きだった人が愛用していたフレグランスは、イヴ。サンローランのものだとばかり思っていた。私はそれをとても気に入っていた。そうして先日再会した時、ふと直接訳きたくなって、あなたが使っていたフレグランスってどんな名前だっけと訊ねると「あたしは香水なんて付けたことない」と答えられ途方に暮れたことがある。なんてことのない会話を交わしながら、黙ってその人の香りに集中したのだけれど、たしかに、もうその香りは私が知っている香りではなくなっていた。もしかしたら、本当はあの時と同じ香りを放っていたのかもしれない。でも、それは違っていた。つまりは、もう、そういうことなのだ。

それでも街角で懐かしい香りにぶち当たった時は、肋骨が軋みそうな痛みを感じる。もう、なんとも思っていないのに。あるいは、その人の名前を聞いた時も、だ。もう、どうしたいとも思っていないのに。そう思うことも、私が私に吐く嘘なのだろうか。

香りは二度目以降の失恋を、何度でも私たちにもたらす。そんなわけで、フレグランスが好きだ。無駄で、贅沢で、孤高。あるいは、煙草や映画館と同じ性質だ。フレグランスもまた、私たちを一人きりにもさせてくれれば一人ぼっちにもさせてくれる。人工的孤独とは即ち、他人に与えられる地獄でもある。

雨の香りも良い。雨が降った後の匂いは、植物中の鉄分と地表の微生物とが混じったものらしい。つまりは遠い背の、誰かの死体の一部が混じっている。雨の匂いがどこか懐かしく、死を静かに連想させるのは、きっと偶然ではないのだろう。

母から初めて盗んだものは、香水だった。シンプルな石鹸の香り。正しくありたいと思わせてくれるような香り。勉強に疲れた時はそれを首につけて、目覚まし代わりにした。夏の香りと語われている香水だけど、私にはそれは冬の香りがする。

きっといつかそれは、母を思い出す唯一の香りになる。そしていつかひどく寂しい香りになる。幸福な記憶は、いつかすべて、そうなることを約束されている。上手に人間のふりをしたところで、私たちは本来的に、獣だ。嫌いな香りがするものと、人は付き合いきれない。好きだと思っていても、その人の香りが好きでも嫌いでもなくなったら、その関係は終わりに近い。その容赦のないシンプルさが好きだ。好きなものからは、いましばらく、幸福な香りがする。

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