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AIに奪われる仕事を考えても仕方ない

現代の日本で生を営んでいる私たちは、日常を安全かつ快適に暮らすために必要とされている、ほぼありとあらゆるものを手に入れることができる時代に生きています。
半世紀前の1960年代において、人が羨ましく思う豊かな生活の象徴として崇められていた「三種の神器」とは、すなわちテレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つの家電でしたが、今日では、これらの家電を保有しない家を見つけることの方が難しい状況になっています。
たった半世紀の間に「憧れの対象」となっていたものが、すでに広く行きわたっているのが、現代という社会です。人類はかつて、このような時代を経験したことがありません。私たちは、すでに必要とされている、ありとあらゆるものを手に入れることができる時代に生きているのです。
しかし一方で、このような「恵まれた状況」にありながら、多くの人々は、何処か心の中に欠落感を抱えながら生きています。多くの人にとって現実のものとなった豊かな暮らしを手にしたにもかかわらず、何かが満たされていない、人生において何か本質的に重要なものが抜け落ちているような感覚です。
このような感覚に陥ってしまっている中で、さらに人間の生活をより良いものにする為に、研究が進められているのがAI(人口知能)です。

AIはすでに私たちの生活や仕事の場面で、多く使用されています。例えば、エアコンや車など、私たちが毎日使っているスマートフォンにもAIは備わっています。
このようなAIの急速な成長により、さまざまな研究機関や研究者が「人口知能に奪われる仕事は何か」という予測を行なってきました。例えば、オックスフォード大学の研究グループの論文によると、「20年後、米国の雇用者の47%が機械によって代替される」という分析結果を発表しています。
しかし、このような研究が進められていく中で、もう1度よく考え直して欲しいのが、この「問い」の本質についてです。人口知能という汎用性の高いテクノロジーが実用になりつつある今、私たち人間が問わなければならないのは、むしろ「人口知能を人間が手にしたところで、私たちにどのような可能性が開けるのか」という問いであって、さらには「テクノロジーによって私たちはどのように人間を進化させられるのか」という問いであるべきです。
私たちはテクノロジーの進化にブレーキをかけることはできません。であれば進化を止めることのできない人口知能の前に立ちすくんで「誰が仕事を奪われるか」などという予測をして、その予測に振り回されていても仕方がないのです。
このように不毛なら予測に時間と労力をかけ、出てきた予測に一喜一憂しているような人間は、環境の変化に引きずり回され、人生のイニシアチブを失うことになるでしょう。一方で進化するテクノロジーを用いることで、現代の社会が抱える課題をどのように解決できるかを考える人間は、環境変化を自らのチャンスに変えていくことで、大きな豊かさを生み出していくことになるでしょう。


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