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「コピーライターじゃなくても知っておきたい」と僕が言いたい理由

こんにちは、コピーライターの阿部広太郎です。

先日、コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術(ダイヤモンド社)を刊行しました。

そのタイミングで、東京コピーライターズクラブからいただいた5日間のコラムを書く機会。

「コピーライターじゃなくても知っておきたい」というタイトルに掛ける思いを、僕の実体験を通じて書き上げました。

「超言葉術」のサイドストーリーとして。そして、ここに書いたことが、あなたの何かのきっかけになれたらうれしいです。

(変化がめまぐるしい今、時には甘いもの、たとえば、いちごの咲くパフェだったり、喫茶店で食べながら、ひと息ついて、ゆっくりいきましょう)

※※※

君たちはどう広告するか?

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「広太郎、コンテンツの部署に来ない?」

今思うと、
まるで将棋の対局のようだった。
小さな会議室、
真四角の机を挟んで座る、僕と大先輩。
笑顔80%の表情の大先輩が放つ、
王手となる一言。
一瞬のあいだに感情が行き交う、
僕の心にさざなみが立つ。
大先輩の残り20%の表情は、
真剣勝負そのものだった。

どうしよう、はやく、
はやく、何か言わなくちゃ…

「ええっと…」

机の上には将棋の駒の代わりに
僕の書いた書籍があった。
青いカバーに僕の好きなフォント
「A1明朝」で書いてある。

「待っていても、はじまらない。
 —潔く前に進め」と。

それは2016年の秋のことだった。

「ちょっと話さないか?」と
大先輩から連絡があり、
僕は近況報告として
本を持参していた。

ちょっと話をしようの、
その「ちょっと」が、
本当にちょっとした話だった
試しが僕にはない。

それは大先輩が
リーダーとなって新設する、
コンテンツのセクションのお誘いだった。

とてつもなくありがたい話なのに、
その時、
僕が逡巡していたのには訳があった。

君たちはどう生きるか、
は名作のタイトルだけど、
君たちはどう広告するか、
と問われている気分だったのだ。

これから僕はどう広告と
関わっていくべきなのか?

からまるイヤホンみたいに、
僕の考えは、ごちゃごちゃだった。
ほどくために手を付けていったのは、
2015年の思い出だった。

僕はコピーライターとして
広告制作を主な業務とする、
「クリエーティブ局」を離れ、
ビジネスそのものを、
クリエーティブの力で
つくっていくことを目指す、

「ビジネスクリエーションセンター」に、
1年間のインターンに出ていた。

広告づくり、から、
仕事づくり、に挑戦したい。

その思いで、インターンの選考を受け、
何とかその機会を得ることができたのだ。
当時、志望動機でこんなことを書いていた。

『リスクを恐れない、一人一事業の時代へ。』

冒険にはリスクがあります。
でも今こそリスクを恐れずに、
電通のみんなが、新たなメシの種を持つ、
一人一事業の時代にしたい。
商品の企画から携わる
レベニューシェアを得る仕組みも。
(レベニューシェアとは、
成果に応じて報酬が決まること)
音楽ビジネスでアーティストが
売れた分だけ対価を得る仕組みも。
自分なりに冒険しながら
商いをつくってきました。
電通は、もっと冒険できると証明したいです。
電通を、未来をつくる会社にしたいです。

青くさいのは許してほしい。

奥底にあるのはぎらつきと、危機感。
コピーライターの可能性は
限られたもんじゃない、
そして、広告制作だけに
甘んじていてはいけない、
そんな風に僕なりに本気で思っていたのだ。

実習を意味するインターン。
ただ習うだけで終わることはむしろまれだ。
お互いにとってのお試し期間。
そこには、選考の意味合いも含まれる。

結論から言うと、
僕はハマらなかった。

1年間のチケットは、
本当に1年間でその有効期限を終えた。

企業の経営者と並走し、
組織の在り方を考える。
あるいは新規事業をつくる仕事は刺激的だった。
それが合う合わない、
というより自分の根っこを再確認した。

2016年の夏。

もとのクリエーティブ局に出戻り、
その矢先に、大先輩に呼び出されたのだった。
その場で僕の一手を返すことはできなかった。

「考えさせてもらっていいですか」と言って、

その、ちょっとした話は、解散となった。

広告業をどう定義するかは
人それぞれにあるだろうし、
そこにその人の「らしさ」が出ると思う。
僕は「関係創造業」がしっくりきていた。

音楽でいえばライブ、
お笑いでいえば寄席、
映画でいえば映画館。
「世の中に一体感をつくりたい」
就職活動の時から言っているこの言葉。
創作の現場と共有の現場。
その関係を広げていくことが、
僕は大好きなんだよな、
ということだった。

おそらくきっと、
コンテンツの仕事は、
その渦中に、
えいやーっと飛び込むことになる。
コピーライターでその部署に
行ってる人はまだ一人もいない。

気になる、やってみたい、

けどもしも、そこで厳しいとなったら、
どこに自分の居場所があるんだろう?
大丈夫だろうか? やれるだろうか?

先のことなんてわかるわけないのに、ぐるぐると。

決断できたのは、たった一言だった。

「先輩がコンテンツって
 すごく『ぽい』ですけどね。
 阿部さん自身がコンテンツだと思うので」

信頼する後輩に言ってもらえたその一言で、
気持ちはパァーッと晴れていった。決断できた。
なんだ! 悩みのからまりは、僕の空回りだった。

あれから4年が経つ。
飲みの場で大先輩は言う。

「あの時、広太郎、
 ほんと潔くなかったよな(笑)」

ほんと勘弁してください、
と言いながら僕はこじつける。
潔さとは、とことん考えた先の
清々しさなんです、と。

コンテンツの仕事。
そこにある本当の厳しさ。
大きな壁にぶち当たるのは、
異動した後のことだ。

悪夢か、現実か、夢か。

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「阿部さん、あの試算表の、
 bad、even、goodって、
 悪夢か、現実か、夢か、なんです」

新しいことに挑戦する時、
この言葉を今でも思い出す。

2017年、コンテンツの部署での仕事がはじまった。

名刺の肩書きはこうだ。
「コピーライター/プロデューサー」
そして、日々の習慣も変わっていった。

ペンを持つ手は、
電卓も叩くようになった。
パワポと同じくらい、
エクセルを扱うようになった。
月末になれば、
請求書のやりとりで慌ただしくなった。

そして肝心の仕事だ。

先輩から誘ってもらう仕事もある。
けれど、僕が所属したのは、
コンテンツの部署の中でも、
コンテンツそのものを企画していこうぜ、
という部署。
自分で機会をつくりださないといけない。

「制作」と「製作」の違いを明確に知った。

制作が、作品そのものをつくることに対し、
製作は、資金を集め、回収することを指す。

プロデューサーは、つくりたいものを見つけないといけない。
プロデューサーは、つくるためのお金を集めないといけない。
プロデューサーは、つくりあげた後に回収しないといけない。

僕は、映画づくりに取り組んだ。

会社は違うけれど同じ製作委員会にいたのが、
同世代のプロデューサーのYさんだった。

映画をつくるために資金を集めないといけない。
つくりたいものが見つかったとしても、
会社にGOサインをもらえるか、どうか。
やりたくて仕方がないけど、できないかもしれない。

本当に思い入れのある仕事は、
油断したらすぐに気持ちがこぼれそうになる。
認められなかったらどうしよう。
駄目といわれたらどうしよう。こわい。

言われたことをやることのほうが
ちょっぴり気持ちが楽なのはどうしてだろう。
自分のむきだしの気持ちが、
傷つかなくて済むからだろうか。

でも、傷つきたくなくてこもっていたら、
なにも変わらない。気持ちは置いてけぼりのままだ。

現場で映画の話は進んでいく。待ってくれない。
現場に対しては「やれる」前提で話し、
会社には「やりたいです」と交渉していく。

いくつもの不安を呑み込みながら、僕は、
会社の審議に向かうための企画書をつくっていた。

WHY:なぜ、今つくるのか?
WHAT:どんな、物語なのか?
WHO:だれと、つくるのか?
WHEN:いつ、撮るのか?
WHERE:どこで、撮るのか?
HOW:どのように、マネタイズするのか?

5W1Hを明確にした企画書をつくることはできる。
話の筋道を整えて伝えていくコピーライターだからこそ、
しっかりと言葉にすることはできた。

ただ、お金の試算をするのがはじめての経験だった。

公開する劇場の規模数、動員予測、タイアップがつくかどうか…

bad、even、goodに分けてシミュレーションしないといけない。

Yさんにこの話をしていて、
言ってくれたのが冒頭の言葉だった。

「bad、even、goodは、悪夢か、現実か、夢か。」

言葉が変わることで、グッと身近になった。

夢を見たいなら悪夢も知らないといけない。
悪夢を見るから夢は見えてくるのだ。

閻魔大王がいる会議。
そう言ったらわかりやすいだろうか。
悪夢行きか、夢行きかはわからない。
ただ、その入口に立つことは許された。

そうして出来た映画が、映画「アイスと雨音」。

そこには、はじめて知る現実が待っていた。

一人ひとりへのI LOVE YOU。

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当たり前のことを言うな。

そう怒られてしまうかもしれない。
けど、からだ全部で感じていた。

映画が封切りされる。
そして映画館で上映されている。
それは、まったくもって、
「当たり前じゃない」。

2018年3月3日。
映画「アイスと雨音」の公開日。

日付まで含めて、この日のことは、
これからもずっと忘れないと思う。

初日、渋谷の映画館「ユーロスペース」。
映画の出発を祝ってくれる大勢の方たち。
輝く瞳。紅潮した頬。人の賑わい。
お祭りみたいだった。

たとえば、もしもの話。

ドキュメンタリー番組で、
映画づくりの密着があったとしたら、
その日の出来事がクライマックスだ。

クラシック調のテーマソングとともに、
スタッフロールが流れてくる。
渋い声のナレーターが締めくくる。

「戸惑い、まよって、それでも、
 つくることをあきらめない。
 その先の景色を見たいから・・・。」

そんなドキュメンタリーを、
僕も見たことがある気がするし、
そういうものだと思っていた。

けど、違った。

はじめて知る現実はここからだ。

「あ!埋まってる!」
「やばい…空席が。。。」

映画のオンラインチケット販売サイトを、
こまめにチェックしては、
一喜一憂する日々が翌日からはじまった。

こまかいことだが、
映画の席全体の埋まり状況を見るのは、
ワンクリックで見られる訳じゃない。
利用規約と注意事項にチェックしてクリック。
チケット枚数を選択してクリック。
いちにのさんで、ようやく座席状況がわかる。

すでに埋まっている席には☓がついている。

映画を見る側の時は、☓が少なければ、
お、すいてて良かった!と思うけど、
映画を作る側になると、
☓の数だけ○をもらえた気分になる。

映画公開されてから舞台挨拶、
もしくはトークイベントを行う、
その動機はシンプル。ただただ、
お客さんに来てほしいからだ。

映画「アイスと雨音」も同様だった。

決して大げさではなく50回近く、
舞台挨拶を行ったのではないだろうか。

舞台挨拶が終われば、劇場ロビーで、
パンフレットのサイン会を行う。
監督と役者、お客さんが言葉を交わす。
その姿をプロデューサーとして見守る。
SNSで発信してくださる方がいる。

1000人、1万人、10万人・・・
あの時エクセル上でした動員予測。
ニュースで見聞きするヒット作が、
何十万人動員したという数字。

数字だけど、数字じゃない。
生身の一人ひとりがそこにはにいる。
僕がプロデューサーとして、
出来ることは何だ?

「I LOVE YOU」

私がいて、目の前にあなたがいる。
映画館に来てくださった、
目の前の一人ひとりに
感謝を伝えることだ。

コピーライターだからというよりは、
一人の生身の人間としてやりたいと思った。

当たり前のことでもある。
でもその当たり前のことを、
やりきろうと思ったのだ。

こうも考えた。

監督が、役者が、SNSで呼び掛けている。
僕自身も声掛けを全力でやるぞ、と。
僕の言葉に耳を貸してくれる人がいるかぎり、
魅力が伝わるように、発信し続けようと。

お客さんと映画を育てていく。

そのことを頭じゃなくて体で感じた。

3月から上映がはじまり、
初夏近くまでのロングラン上映をした。
第61回 ブルーリボン賞 作品賞ノミネートした。

それでも、

映画の資金回収はそう簡単じゃない。
劇場公開のみで回収できることは稀で、
DVD・Blue-ray、オンライン配信など、
ここまでやるか、と挑んでもまだまだ。

ただ、作品は生きている。

2017年と2018年に刻まれた思い出。
ともに生きていく、という感覚すらある。

「本当にやりたいことは、絶対止めちゃいけない」

そうコピーに付けた、
若者たちの1ヶ月を74分ワンカットで描いた、
映画「アイスと雨音」、Amazonでも観られます。
再生というスタートを切ってほしいです。
もしよければ、ぜひ。

動き続けるかぎり旬はつづく。

つづける中ではじまることもある。

僕だからこそできる作詞って?

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ラーメンを想像してほしい。
できたてホヤホヤの一杯に湯気がたちのぼる。
いただきますと小さく言い、手を合わせる。

似た幸せを味わっていたように思う。

できたてホヤホヤの歌詞を、
スタジオで歌ってもらった時。
そこには感動があって、
両手をぎゅっとにぎりしめて、
ここにいられる幸せを噛みしめていた。

作詞にはじめて取り組んだのは2016年。

映像作家のエリザベス宮地さんが、
Webドラマをつくる際に、
「阿部さんにテーマソングをお願いしたい」と、
依頼してくださったところからはじまる。

未経験だ。できるか、できないか。

迷いなんて追いつかないくらいの速さで、
「ぜひ!」と僕は即答していた。

「見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」
BUMP OF CHICKENの「天体観測」という曲。
十代の頃に聴いてから、ずっと心の中で生きている。
何度だって再生される「歌う言葉」の世界に関わりたかった。
(ちなみに今もリピートしながらこの文章を書いている)

言葉と向き合いつづけてきたから、
なんとかなる。なんとかするのだ。
なんとかする方法は知っているから。

「強くてニューゲーム」

この言葉を、あなたは知らないだろうか?
テレビゲーム、とりわけRPGにおける用語で、
進行中(もしくはクリア後)の状態で、
最初からゲームを開始することができる機能だ。

あれはその時点でのレベルがどうこうではなく、
やり方がわかっている、というのがいちばんの
繰り越せる財産なのではないかと僕は思う。

コピーライターとして働いてきた中で、
偉大なる先人たちに学ぶということは、
欠かさずやってきた、その取り組み方を、
作詞でも活かそうと僕は考えた。

そこで出会ったのは阿久悠さんだった。

ピンク・レディーの「UFO」。
和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
フィンガー5の「学園天国」。

あまりにも有名すぎる曲の数々。

昭和が生んだ天才作詞家とも呼ばれる阿久悠さんが、
コピーライターとしてキャリアをスタートし、
放送作家を経て、作詞家になったのだと知ると、
心の距離が急激に近くなった。

阿久悠さんは、
作詞に向かうその手法を、心の在り方を、
惜しげもなく、書籍に書き記していた。

「こっちにおいでよ」
まるで、そう言ってくれているみたいに。
「来れるものならね」
おそらく、愛のある厳しさとともに。

いくつもの書籍を読み込む。

阿久悠さんの言葉の中で、
特に心に残った言葉がある。

「戦略と創作が一体になって時代の騒ぎになる」

ああ、やっぱりそうか。と思った。

創作の奥底には戦略があるべきだし、
戦略が孤立しない創作が必要なんだ。

そこに企てがあるかどうか?

それこそ、僕自身が何年もかけて、
コピーライターとして日々、
培ってきたことだった。

これまで出会ってきたいくつもの感情をもとに、
向かうべき先を見定めて、作詞をする。
キャッチフレーズを書くように磨き、
手紙を書くように全体をまとめていく。

そうすれば「自分だからこそ」にたどりつける。

「傷ついて傷ついてわたしになっていく」

最初に依頼をしてくれた、
エリザベス宮地さんに贈ったサビの1行。
これもキャッチをつけるようにつけた1行だった。

そこから今に至るまで、作詞をつづけてこれている。

冒頭の話に戻る。

できたてホヤホヤの歌詞を、
スタジオに、持っていった。
それは、2018年の冬。

フォークデュオ「さくらしめじ」と、
はじめてご一緒させてもらった時のことだ。
刻一刻とせまるクリスマスライブ。
そこで初披露する曲を、ぎりぎりまで、
スタッフの皆さんと詰めていた。

ライブに向けてスタジオで練習しているふたりに、
「できました!」と歌詞を持っていく。

僕は歌う様子を入口近くの椅子でじっと聴いていた。

「先に言うね」という曲だ。

紙に記した言葉が立ち上がり、音楽になっていく。
そこには、胸一杯の感動があった。

音楽とは? という大きな問い。

伝えたい、があるから歌が生まれていく。
たとえ、どんな状況になったとしても、
絶望を突き破り、希望の歌が生まれていく。

こう思うのは、2020年の3月に、
振り返っているからかもしれない。

でも、音楽に関わる一人として、
ほんとうにそう思っている。

断言する。心をつかむ言葉はつくることができる。

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コピーライター
じゃなくても知っておきたい
心をつかむ超言葉術

そう冠した書籍を
ダイヤモンド社から、
3月4日に上梓した。

今、僕たちの目の前に本があるとして、
本を手に持ち、本を開く。
カバーを内側に折り曲げたあの部分を、
「そで」と言うそうだ。

書籍「超言葉術」は、そでに太字で書いてある。

断言する。
心をつかむ言葉はつくることができる。

断言した。でも、断言するのは怖い。

コピーライターは可能性を探す仕事だと、僕は思う。
Aというメッセージを考えた時に、
それとは違うBやCの可能性を思い浮かべている。

想像力をもってモノ・コト・ヒトと向き合う。
グラデーションがあることを知れば知るほど、
白か、黒か、決めつけるのは怖い。

でも、断言すると決めた。

心をつかむ言葉はつくることができる。

今回の、リレーコラムでも語ってきたように、
僕は、広告の世界も、映画の世界も、
舞台の世界も、音楽の世界も、携わってきた。

肩書きは、コピーライターだけじゃない、
時に、プロデューサー。時に、プランナー。
時に、クリエーティブディレクター。時に、作詞家。

結局、何がやりたいのか?

そう疑問に持つ人もいるだろう。

コンテンツと呼ばれる領域に行って、
改めて思う、やりたいことは全部同じなのだ。

ああしたいとか、こうしたいとか。
仕事において大切なのは、意志。
広告は、広告主に、意志がある。
その意志をつかんで自分に宿して、
言葉にしていくのがコピーライター。

僕のキャリアのはじまりはそこだった。

でも、それだけではなかった。
なにも他者の意志を自分に宿すだけじゃない。
自分の意志をつかんで、言葉にできることも知った。
時には、自分と相手の重なる意志を言葉にしてもいい。

それを企画することで、

世の中と新たな関係を創造すれば、
ちゃんと仕事になっていく。

僕にとって「企画」という行為は、
「幸福に向かう意志」そのもの。

僕が企画をすることで、
幸せに向かう人の行動が
増えていけば幸せだ。

本を書いたのもその企画の1つ。

自分の心をつかむ。
相手の心をつかむ。
その方法を分かち合っていきたい。

人の心をつかむための考え方さえ知れたら、
だれでもできる、そう信じている。

アイデアを考えるとか。
クリエーティブな業界とか。
センスがある、ないとか。
才能がある、ないとか。
自分には縁のない世界だからと、
遠ざけてしまうのは、
諦めてしまうのは、悔しい。

「コピーライターじゃなくても知っておきたい」
と僕が言いたい理由。それは…

僕自身が無関係な世界だと
決めつけていたから余計そう思う。
コピーライターじゃなくても、
知ることで世界が変わっていく。

思いを寄せる人をデートに誘う時、
人は誰しもコピーライターになるように、
既にみんな実践しているということも知ってほしい。

無意識でやっていることを、
意識するだけで人生は変わっていく。

変わっていけた、僕自身が変われたから。

その具体的な方法について、
僕、阿部広太郎という人間の体験を通して、
書き抜いた1冊です。

「I LOVE YOUの訳し方」

ここからはじまる全7章。
本当にありがたいことに
発売後5日で重版がかかり、
多くの方と力を合わせて完成したこの1冊、
読んでもらって間違いのないものに
出来たと自負しています。

ぜひ、読んでもらえたら嬉しいです。

2020年3月。

全世界で変化がめまぐるしい。
次々と悔しいことがたくさん起こる。
本番を迎えられない悲しさも知った。
もどかしい。でも誰のせいでもない。

次、リレーコラムに書けるのは何年後だろうか?

コピーライターとして、
99%の絶望だったとしても、
1%の希望を見つけていたい。

さあ、いよいよ、
このリレーコラムもクライマックス。

バトンを渡します。
僕が毎回、コピーの書き方を伝える、
ワークショップでお題にしている。

「I LOVE YOUの訳し方」
夏目漱石は「I LOVE YOU」を、
「月が綺麗ですね」と訳したとか。
今のあなたなら何と訳しますか?

横浜みなとみらいBUKATSUDOで開催する
連続講座「企画でメシを食っていく2016」で、
猛烈に記憶に残っている訳し方がある。

「月なんかどうでもいいね」

その訳の中には、月よりも君が綺麗だ、
そんな思いがあるように、
僕は感じた。考え過ぎだろうか。

この記憶に残る訳し方をしてくれた、
高橋祐司くんにバトンを託します。
よろしくね。

僕のTwitterは @KotaroA です。
それでは、SNSでも会いましょう!

ばいばい、またね、リレーコラム!

※※※

最後までお読みいただきありがとうございます!感謝…!

僕の講義を受け取って、「コピーライターじゃなくても知っておきたい」と名付けていただいたのは、キャリアハックさんでした。本当にありがとうございます…!

そのキャリアハックさんにて「はじめに」の全文公開をしております。

5月からは「企画でメシを食っていく」と「言葉の企画」もスタートできるよう、準備中です。できるといいな。できることを信じて。今はしゃがむ。

仕事体験記でもあるリレーコラム。

2012年に書いたコラムはこちら↓

2017年に書いたコラムはこちら↓

これからもどうぞ、よろしくお願いします!

阿部広太郎より

ありがとうございます◎ 新刊『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』(ダイヤモンド社)手にとってもらえたら嬉しいです🙏🏻 https://www.amazon.co.jp/dp/4478117683/