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ボクの履歴書➁

1.       陸上だけがすべてではない

走って結果を残すことで走ることは楽しいとおもっていたのだが、
小学6年生の冬にテレビに映る、全国高校駅伝(青森山田高校が3位)や箱根駅伝を走る選手の姿をみて、強烈な憧れを抱いてしまった。
その憧れは、進学する中学校すら変えてしまう凄まじい力をもっていた。

私の学区の中学校には、陸上部がなく野球部に所属し走る選択肢はあった。しかし、野球部に所属している2つ上の兄がなかなか試合に出場できていない現実を見ていたため、「野球では活躍できなくても、走ることでみんなが喜んでくれる。ならば陸上部のある学区外の中学校に行き陸上をやる」と決心したのだった。

もちろん担任の先生には止められた。
「陸上だけがすべてではない」
しかし、憧れは止めることができなかった。

2.       目の前のことに精一杯の毎日 (小学6年終わり~中学1年)
 
少年野球のメンバー、6年間共に過ごした小学校の同級生に別れを告げ、別の道に進むことを決意したのは3月上旬のこと。

卒業式を終え3月の下旬から中学校の練習に参加したのだが、もう毎日が筋肉痛。お爺ちゃん並みに湿布を貼り、家に着いたら眠ってしまう。この前まで小学生だった自分には想像以上にストレスがかかっていた(知り合いが誰もいない状態で、先輩の中に飛び込む!笑)

しかし、環境の変化は「箱根駅伝」という遠くに見える夢を一旦隠し、目の前のことに集中させてくれた。入学後は、勉強の方も30人中ではあるが1番が2番を常にキープ。

練習が終わると、お腹がすきすぎて先輩からよくカロリーメイトをもらっていたほど体は頑張っていた。目の前のことに精一杯取り組んだ結果、東北大会9位という結果につながったが(もう一歩はその頃から)、会場の岩手県北上市で先生と食べた「カニ飯」があまりの美味しさで大会よりも記憶に残っている(笑)

3.       突然の発表(中学1年の終わり~中学2年)
 
中学1年生の離任式、それは突然の発表だった。1年間自分を育ててくれた恩師の異動が発表された。「これからどうしたらいいんだ、メニューは誰が作ってくれるんだ?」そんな葛藤や迷いが渦巻いた。
 
少年はすぐに動いた。
少しマニアックになるが、それまで毎月読んでいた競技雑誌の陸マガを月陸(より大人向け)に変え、書かれていることを参考にメニューを自分で作るようになった。(指導者用の3000円くらいする本も読んだ)

ピンチはチャンスに変わり中学3年生と2年生が出場する3000mで東北大会に進むことができた。自分で考えて掴んだ東北大会は1年前とはまた違う達成感を味わうことができた。(秋田県:長根山陸上競技場)

4.    「夢中」はスター
 
振り返ると、目標はあったが常に意識していたわけではなかったと思う。しかし、自分で進む道を選択して決断してきたからこそ、結果的に夢中になっていたのだと思う。(野球をやめる、学区外の中学校に行く、練習メニューを作る…すべて自分で決めた)
 
夢中は、あらゆるものを弾き飛ばし、加速していく、マリオカートでいうスター状態に似ている。環境の変化などからくる不安や迷い、葛藤をすべて弾き飛ばし想像もできない速度で私を成長させてくれていたのだと思う。

自分と深く向き合い、考えた選択・決断をした時にたまに夢中を獲得できると思う。

これから先、苦しいことや辛いことの方が多いだろう。
 
まず自分のことは自分で決めよう。深く向き合おう。
そして、スター状態で人生ゴールまで突っ走ろう。

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