リヨンと別れの技術

僕たちはソーヌ川沿いの歩道をとぼとぼと歩いていた。

右手にそびえる丘の上で、ノートルダム大聖堂が橙色のリヨンの街を見下ろしている。大学の先生の引率で丘を登って、あの大聖堂を訪れたのは、ほんの3週間前なのに、何年も昔のことのように感じた。

「最後くらい、少しは真面目な話しをしよう」と思った。

3週間ほぼ毎日と言っていいくらい、他愛もない話はしてきたのに、彼女の未来についてほぼ何も知らなかった。


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彼女とはリヨン市内の語学学校で知り合った。

ロンドンで美容師をしているらしく、とても綺麗な英語を話した。長期休暇をとったのか退職したのかは覚えていないが、おそらく1ヶ月ほどリヨンの語学学校でフランス語の授業を受けていた。

一応、端からみれば語学留学にあたるが、僕も彼女も語学を真剣にやりに来たというより、数週間滞在してみて、フランス語、ひいてはフランスという国が自分の肌に合うか試したい、というのが本当の目的のようだった。

僕がとても若かったのもあるが、10歳ほど年上の彼女は知性と経験によって裏付けられた自信に満ちていて、近寄り難さにも似た凛とした気品を纏っているように見えた。


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「留学が終わったらどうするの?」と僕は彼女に聞いた。
彼女は「次はカナダで働いてみたい、でも気に入ればフランスにまた来るかもしれない。美容師として手に職があればどこでも働ける。」という趣旨の事を答えた。

のろのろと歩きながら、僕は覚えたての煙草をひっきりなしに吸っていたので、彼女は「先に死んだらお母さんが悲しむよ」と言ったのをよく覚えている。当時そこまで煙草を美味しいとは思っておらず、田舎から出て来た人間特有の「舐められたくない」精神で煙草を始めた節があったので、少し恥ずかしくなった。

恥ずかしさを紛らわすために「意外とアジア人らしいことを言うね」と言ったことも若干の後悔と共に心の底に沈殿している。


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彼女も僕も同じ基礎クラスだった。当初、アジア人同士特有の距離感はあったが、英語で話していたので、敬語によって余計な上下関係が形成される事はなかった(僕はあれが本当に苦手である)。

僕がリヨンに滞在した3週間、彼女が授業をさぼった日を除いて、毎日教室で顔を合わせていた。僕たちは次第に打ち解けて、休憩中には一緒に外の空気を吸うようになっていたし、何度かクラスメートと一緒にパブに出かけたりもした。今考えると、僕のような阿呆な若造とよく遊んでくれたなと思う。


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日はすっかり傾き、あたりは薄暗くなっていた。

暑さが去り、散歩やジョギングに興じる人たちが現れ、ゆっくりと歩く我々を追い抜いていった。

僕は彼女から何かを学ぼうとしていたと思う。最低でも、僕が生きたい人生は彼女の生きる人生に通ずるものがあると感じた。しかし彼女は多くを語らなかった。このままソーヌ川にかかる橋まで到着すれば、彼女は向こう岸に渡る。それが最後の別れである。今後、ざわざわ連絡を取り合うことはまず無いだろうし、もう一生会うことも無いだろう。

少し話をしながら、川沿いの歩道を橋まで歩いた。僕は、いつ別れの言葉を切り出そうかと考えていたと思う。ふと、彼女を見ると夕日に照らされた目元が輝いているのが見えた。全く予期せぬことに、咄嗟に目を逸らした。

彼女の経験の深さを鑑みれば、僕たちは数多ある出会いの一片でしかないし、彼女の人生に何かしらの影響を与えるには程遠いただの子供だという事は百も承知だった。それでも、こんな若者を友人だと思い、別れを惜しんでてくれている事実が、単純に嬉しかった。

橋に差し掛かかった時、彼女は少し歩みを早めて僕から距離をとると、僕を引き離すように、さっとひとりで車道を渡った。そして、サマーコートのポケットから片手を出し、道の向こうで軽く手をあげると、そのまま足早に橋を渡り、去ってしまった。一度も振り返らなかった。ソーヌ川に揺れる夕日が眩しかった。

「またね」とか「元気でね」とか、別れの言葉を言ったかどうは覚えていない。僕は、あまりに呆気なく、それでいてあまりに美しい彼女も別れの形に圧倒され、言葉を失ってしまっていたのだと思う。あるいは、この完璧な別れのシーンを邪魔してはいけないと思ったのかもしれない。

片手をポケットに突っ込んだままもう一方の手を軽くをあげた彼女の影は、ソーヌ川に浮かぶ夕日の眩しさと共に、今も脳裏に焼きついている。

出会いと別れを幾度となく繰り返し、別れの技術を磨くことが大人になるという事なのかも知れない。僕は当時の彼女に近い年齢になったが、あんなにも潔く、だが心に残る別れの術をまだ見つけられていない。

9年前に訪れたリヨンは、人生初めての海外旅行だった。

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