外出制限は短し歩けよボルドー


2018年の夏からボルドーという、大西洋に程近いフランスの港町に住んでいる。

理由は至って幼稚で、数年前にこの地を訪れた際にその美しい街並みと美味しいワインと料理に魅せられて「もしフランスに住むとしたらここがいい」と心に決めていたからだった。

しかしながら観光で数日滞在するのと数年住むのでは、雲泥の差、月と鼈、聞いて極楽見て地獄、駿河の富士と一里塚。

胸を張って「ボルドー最高ー!!」と言ってばかりいられないのが実情である。と言いつつも、この街にどうしよもなく惹かれる瞬間があるものまた事実である。

最近のときめきを忘れないうちに、ここに書き認めておきたい。

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《 眠れる美女は二度眠り月の港に日は昇る。》

ボルドーは古くよりワインの一大産地として栄え、18世紀には西インド諸島との三角貿易によって得た巨万の富で栄華を極めた大西洋の大港町だ。

湾曲した川岸に沿うように建造物が立ち並ぶ景観から「月の港」の愛称で、長い間その名を世界に轟かせてきた。
しかし、19世紀に貿易の拠点が他港に移ったことを皮切りに、次第にその輝きは失われ、戦後には過度な工業化により大気汚染が深刻化、石灰岩でできた白く美しい街は煤で黒く染まってしまったと言う。
黄金期の秀麗な建造物を持ちながらも醜く堕落してしまったこの街を、人々は親しみを込めて「眠れる美女」« la belle endormie »と形容した。

時間は流れ2000年前後、時の市長アラン・ジェぺのもと大掛かりな都市再生計画が急ピッチで進められた。川沿いの工業地帯は市民の憩いの場へと姿を変え、広々とした遊歩道が整備され、街にはトラムが走り、建物は白く磨かれ、ボルドーはかつての繁栄を彷彿とさせる活気を取り戻した。旧市街の調和の取れた荘厳な街並みは世界遺産に登録された。

こうして「眠れる美女」は長い眠りから目を覚ましたのである。

ところが一度絶世の美女が目を覚ましたとなると、悲しいかな、放ってはおかれないのが世の常である。

世界中から大勢の観光客が訪れるようになったことに加え、大都会の喧騒から逃れようと富裕層のパリジャンをはじめ多く移住者が押し寄せた結果、人口は急増。おかげ様でボルドー中心街は昼夜問わず、さながらカーニバルの様相で、住めたもんじゃない。生粋のボルドレー・ボルドレーズ(パリジャン・パリジェンヌのボルドー版)は静けさを求め郊外に移住したほどだ。

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それがどうだろう、ここ数週間、そんな喧騒とは無縁の静けさが街を包み込んでいる。

欧州で猛威を奮う新型コロナウイルスの感染を食い止めるべく、フランス政府が国民に厳しいコンフィヌモン(外出制限)を課したのは、日本でもよく知られているところだろう。医療従事者など一部の職種を除いては、一日一回、一時間以内、家から半径1キロ圏内の外出のみ許されている。外出時には、住所と出発時刻と外出理由を記載した誓約書の携帯を義務付ける徹底ぶりだ。

先日、僕は日に一回の外出チャンスを使って、街の中心地まで散歩に出かけてみた(断っておくが誓約書も書いたしソーシャルディスタンスも守った。何も言われる筋合いはない)。

およそ全ての店や飲食店がシャッターを下ろしている。歩行者がごく少数見られるが、一様に、毒ガスが充満する部屋に入れられ息を止めて出口を目指すかの如く一心不乱に去っていく。ボルドーの街をかつて無いほどの静寂が朝霧のように滞留している。

人はそれを「ゴーストタウンのようだ」と哀れむかもしれない。ただ、僕はむしろ好きだった。

人の話し声よりも小鳥や鳩の鳴き声が耳に柔らかく流れ込んでくる。なぜか未だに走っているトラムの金属音が遠くで聞こえる。見慣れているはずの大聖堂前の広場がいつもより広々と感じる。壁に描かれたグラフィティーの緻密さを観察するために、立ち止まることを邪魔するものは何一つ無い。

これまで背景として零れ落ちていたものが、突如形を持ち毅然として目の前に現れたのだ。

普段ほぼ無意識的にイヤホンで耳を塞ぎ、お気に入りのプレイリストに没入するのに、ふと、この日は図らずもそれをしていないことに気づいた。いずれにせよ、今は遮りたいものなど何もない。

イタリアのヴェネチアでは観光客が消え運河の水が透き通ったように、ボルドーでは空がエーゲ海のように青く高く澄み渡ったは必然だろう。

外出制限は短し(そう願う)歩けよボルドー。
眠れる美女は寝ていて、どうぞ。

(強いて言うなれば、歩道に所狭しと並べられたテラス席でコーヒーを飲みながら寛ぐ人々がいないのは若干の寂しさがある。彼らはフランスの風景を完成させるにあたり、欠かせない名もなき役者である。)

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