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「宇宙に行きたい?行きたくない?」は全員に重要な話。

『アリストテレスの窓』にて、月のあれこれから宇宙にまで話を広げていったとき、子どもたちに聞いてみた。

「お金も時間も気にせずに行けるなら、宇宙に行きたい?行きたくない?」


「行きたい!」という声が多いかと思いきや、意外と「行きたくない!」という声が多かった。


理由は、

・空気がないから心配
・暗いから心配
・迷うかもしれないから心配
・打ち上げに失敗するかもしれないから心配
・宇宙生物に出くわすかもしれないから心配
・命の危険があるから心配
・行きたいけど、ロケットの打ち上げは、地球温暖化に影響するからやめとく(おお!こんな視点まで!)



ドラクエの作戦でいったら、子ども教育だと左側の3つ「みんながんばれ」「ガンガンいこうぜ」「いろいろやろうぜ」を重視しがち。

この場合、「〇〇が心配だから宇宙に行きたくない」は後ろ向きと評価してしまいがち。

私自身も、チャレンジはしたほうがいいと思っている。子どもたちには、私自身がチャレンジする姿を見せていこうと思っている。


が、チャレンジのしかたはいろいろあっていい。


「いのちをだいじに」は、当たり前。

これは、命が危険にさらされる場面や、命以上に大切なことがでてくる場面をのぞいて特別意識しない前提条件。

現時点で宇宙に行くことは命や健康にリスクがあるので、子どもたちの判断は賢明といえる。

「じゅもんをつかうな」という〇〇するな系も、自他の心身の安全を脅かさない限り、ほとんど使用する必要はないように思う。


つまり、戦闘場面のように緊急性がなければ、コマンド(命令)はいらない。


「宇宙に行かなくたって、宇宙に関われる!」

ある男の子の言葉だけど。これが人生の本質だろう。

宇宙に興味があるからって、宇宙飛行士を目指す必要はない。

宇宙に自分が飛び出さなくても、宇宙開発に関わる方法はいくらでもある。


日本人は気質として心配性の人が多いという研究がある。

およそ日本人の8割が心配性なのだ。

日本人の5人にひとりはHSPの気質があるなんてことも言われてもいる。


「宇宙に行きたい!」と目を輝かせてキラキラ言える子は素敵だ!


だけど、そうじゃなくてもいい。


はい!はい!と、手をあげられなくてもいい。

そうしないほうが、しあわせな人もいる。

それよりも大切なことは、自分にとって何が大切で、何をしたいか、自分自身のことを知っていることだろう。


「宇宙に行かなくたって、宇宙に関われる!」と、冷静に状況を判断し、自分が何をしたらいいかわかっている子どもたちは素敵じゃないか!

つまり、やっぱり全員が素敵じゃないか!

だけど、評価軸が画一な場にいると、本当は星の数ほどある素敵さに自他ともに気づきにくい。

明るいという明確な基準がある「一等星」ばかりが評価され、「一等星」ですらまわりより暗いと自信をなくす。


ある男の子が言った。

「宇宙の星、全部知りたい!」


じっくりよ~く目を凝らして、そこにある星ひとつひとつの本当の輝きを、ひとりひとりと対話しながら、大切に大切に理解していきたい。


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