再生「吉里吉里の家リノベーション」

画像1 2011.3.11~ 2011.7~2012.7 (施工期間)            2011年3月11日 地球が動いたことで、人々の暮らしと心も大きく変化した。 岩手県沿岸に位置する、私の故郷の町へも津波は到達した。 生活していた宮城県から通いながら瓦礫撤去や、全国から届いた支援物資の供給をしていく。
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約三ヶ月間週末に岩手と宮城を往復する生活をしながら、 今の自分ができること、したいことを改めて考えた。 先は全く見えなく、不安ながらも、気持ちは固まっていたように思う。 社員としてお世話になっていた会社から独立する道を選んだ。
沢山の方の支えを頂いて、岩手県での活動が始まる。同時に実家の再建に着手した。
画像3 明日の未来すら見えない、瓦礫の中で、一つ一つ解体し、泥を掻き出す。
 思い返してみると、当事者としてこの場所で動くことができることに、 有り難さというか、 小さい頃に育ててくれた故郷への何かしらの力になるのではないかという想いで、 不思議と、辛さよりも、前向きな形で心は満たされていたように思う。
画像4 電気工事、配管設備工事以外は全て一人で施工。 極端に業者や資材、それまでと比べると、何もかも不足な中で、固定の概念を外し、限られたモノと方法で形を変え、組み立てる。 今でも大切にしているこの感覚は、 当事者として向き合い、その場合で思考・体現したから得られたものだと感じている。
画像5 玄関(BEFORE) サッシや建具など、再利用できるものは、最大限に使う。 水で綺麗に洗い流し、手間をかけて寸法を組み直すこと。 逆にサッシ寸法に合わせる空間を考えていくこと。 新しく買い替える事よりも、 再利用出来たモノの価値は、歴史と愛着で何倍にもなる。
画像6 玄関(AFTERE)
画像7 以前の1F 和室→板間 寝室へ(BEFORE) 住みながらの為、 一度に全てを直すことは不可能で、一部屋ずつ整えていく。
画像8 以前の1F 和室→板間 寝室へ(AFTER)
画像9 以前の1F LDK→居室 (BEFORE)
画像10 以前の1F LDK→居室 (AFTER)
画像11 以前の1F LDK→居室 (AFTER)
画像12 以前の階段室→納戸・トイレ・ロフトへ(BEFORE)
画像13 以前の階段室→納戸・トイレ・ロフトへ(AFTER)
画像14 階段室だった建物真ん中に、通り抜け出来る納戸を配置 ・光と風を通す役割を兼ねること。 ・家の隅にある納戸や収納スペースに仕舞い込んだものは、ほぼ出されていない。 わざと人が通る場所に配置する事で、仕舞い込んで溜め込む空間にならないようにする。
画像15 以前の和室→居間・吹き抜け階段へ(BEFORE)
画像16 以前の和室→居間・吹き抜け階段へ(AFTER)
画像17 庭石を、 沓脱ぎ石として配置。
画像18 以前の縁側→土間へ(BEFORE)
画像19 以前の縁側→土間へ(BEFORE)
画像20 以前の縁側→土間へ(AFTER)
画像21 以前の2F 子供室→2F リビングへ(BEFORE)
画像22 以前の2F 子供室→2F リビングへ(AFTER)
画像23 二階リビングへの回答      ・浸水域から生活を守る意識 ・冬季の生活対策 一階の薪ストーブで暖められた空気で、真冬でも二階生活は快適。 ・通風 夏季には自然風が抜け、涼しい。 エアコンは一台もない。 生活しながら海が見える事の安心感。 (今でも、大きめな地震の後は、無意識に海を見る)
画像24 以前の2F 子供室→2F リビングへ(AFTER)
画像25 以前の階段室→2Fトイレとその上にロフトスペースを新たに組み、収納スペースの確保(AFTER)
画像26 2012の夏の始まりの朝焼けを見た。 工事着手から約一年、第一段階の工事を終えたが、周りに建物は未だ建っていない。
 自分の考えや、行動がどこに繋がっているかなんて全く分からなかった。 ただ、どこで何をしていようとも、 何かのせいにすることなく、諦めずに歩くことを続けよう。 と、静かに深く想った。
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生活をする人。生活の建築家。ATELIER NUK https://ateliernuk.com
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