修道とは

 本当の修行は精神的、肉体的にギリギリまで自分を追い込まなければ、次のステップに上がることは出来ない。
 それは不断の努力だけではなく、ギリギリまで行った時に、グルジェフの言う外的なショックを受けなければ、自分と思い込んでいる殻は破れない。
 99%の努力と、1%の外的なショックが必要。
 脳は自分の限界が近づくと、ストップさせるための変化を出す。
 それは人によって異なる。
 熱が出る人、体調を崩す人、蕁麻疹が出る人、帯状疱疹が出る人、下痢をする人、うつ病になる人など様々だ。
 しかし、それを押して、その変化を乗り越えていくのが、99%の努力であり、ショック待ちである。
 限界が近づいた際の変化は、レベルが上がるための外的なショックの予兆であり、これが出たらむしろもう少しだと自分を励まして、さらに限界まで自分を追い込むことが大切である。
 佐山聡先生がいう、自分でアドレナリンを上げていくということである。
 しかし、大抵の人はこのショックの予兆で辞める。
 優れた修行者や武術家は、この脳が限界を訴える変化と、肉体的精神的限界がズレていることを知っている。
 つまり脳は99%ではなく80%や90%の努力で、ストップをかけるのだ。
 この差を知っていると、まだ大丈夫というのがわかるし、指導者や師匠につくというのはその限界を教わることでもある。これはその経験をしたものにしかわからない領域だから、突破した者にはそのズレがわかる。
 私自身で言えば、最初からその限界は無視していた。
 それは私の修行には余裕が無かったからだ。死んだ方がマシだという人生の底にいたからだ。
 最初から辞めるという選択肢を残していなかった。
 これで死ぬならそこまでで、神仏が自分を死なすなら仕方ない、それを辞めてもこの先どうせ生きてはいけないと思っていた。
 それで脳の限界を無視できた。
 こういう方法は今の時代には難しい。
 辞めるという脳のストップを、まだ大丈夫だと言える師匠も少ないし、時代的に許されない。
 私が弟子を取らないのは、それがある。
 カルチャースクールや習い事と同じでは無いので、誓詞を取って入門者に誓わせるとか、今の時代無理でしょう。
 今の時代無理だが、とは言えその方法でないと行き着けない境地がある。
そこを目指すならば、限界を突破するしか無い。


 私をネットで誹謗中傷しているような連中は、修行を舐めていたんだと思う。
 入門できるかどうかのお試しの時点で弱音を吐いたので、お断りしたら逆ギレされて十年以上粘着されてる
 自分を追い込むことが、自分の限界を超えること、魂や肉体のレベルを一桁上げることという単純な真理を、皆その限界=死という恐怖心で逃げる。
 それは普通の人からすれば仕方ないことだが、生死を超える修行をする者が、それが出来ないのでは話にならない。
 恐怖心というのは心理的、脳科学的に関所、その関所を越えないとその先には行けない。
 限界は死では無い、今までの自分が死ぬ、仮死、擬死である。
 それをイニシエーション的に儀式で行う方法もあるが、それもあくまでも儀式でしかなく、種子を植え付けるだけのことで、その種子を育てられるかどうかは、師匠の適切な指導と本人の限界を超える努力が求められる。
 それがいわゆる大作業(The Great Work)である。
 とは言え、普通の人にそこまでは求められないので、今私がやっている祝詞講座などは、普通の人が無理なくやれるように厳選して誰にでもできるようにした、非常に安全なものである。
 普通に講座で教えた祝詞奏上などをしていて、危険な目に合うことはないし、むしろ危険が自然と離れていくだろう。
 祝詞奏上を広めるのも時代の要請であろう。


 頭の悪い人や、低級霊能者とかは、そういう初心者向けの祝詞だけを見て、まろかれなんて大したことないと思っているけれど、まあ健康のために太極拳をやっている人相手に教えている時に、人を殺すような技は教えないし、微塵にも見せないのは当たり前のことだ。
 でも、本当は人を殺せる技を持っていても、普段はそんなのはありません、知りません、やってませんと言うし、それ目当てで来ても教えない。
 伝家の宝刀は、抜いたら斬るだけ。
 抜くだけで納めると言う事は無い。
 抜いたら必ず斬る。神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る。
 自分の生命も相手の生命も無く、生死を超越して、神変して神通力を発揮する。
 これが神変大菩薩の姿である。


 話を戻すが、そう言う限界を超えるのが修行なので、やれ熱が出た、倒れた、蕁麻疹が出た、帯状疱疹が出たで修行を辞めるようなことでは、修行にならないし、それでもやれと言うのが師匠の務めなので、それを理解して、あるいは師匠を信じて、修行を続ける人がいないので、私は弟子を取らないのだ。


 御影舎では、
プロ向け=限界を超える難行=正式入門=師弟
 本格的な修行をスパルタで行うので現在停止中

一般向け=災厄を避け幸せになる易行=先生と生徒
 祝詞講座やカルチャーセンターで現在実施中

 であり、一般の人のために、月間祈祷や御守などで、補助をしているという感じ。
 こないだから佐山先生の合宿のビデオを度々例として出すのは、あれも一つの真理だから。
 しかし、あれも本当は佐山先生は竹刀は先を外して怪我しないように、ビンタも音はするが実際のダメージは無いように手加減してるし、あの後は、こういうスパルタしなくても大丈夫と言って、ああいうスパルタは辞めたそうです。
 とは言え、一度は(グルジェフの理論では二度か三度)はショックを与えないとレベルは一桁上には上がらない。
 レベルを一桁上に上げるには独力では難しい。
 私の場合は霊的な師匠である宮地水位先生と出口王仁三郎先生が霊的に導いてくださったので、それなりに達成できました。
 私をそこまで信じる人もいないので、私はしません。

 色々と急に幽の神懸で色々と書いてしまったが、そういうガチなのはあまり言わないし、表には出さない。
 私の本門だって、ネットでは絶対に出さない。
 蕁麻疹とか血を吐くくらいだと、軽く済んでよかったねの世界だから。

頂いたサポートは、天照御影大神様への御供物や蝋燭や線香などを買わせて頂きます。陰徳を積む事で、運命改善なさってください。