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13. 建築デザインの仕事/ Trabajo de Diseño arquitectura

僕の本職は建築士(Arquitecto)ということになっている。

一応、日本の二級建築士の資格(国家資格)も持っている。

*日本では一級をとってやっと一人前


しかし、今や情報サービスもしているし、

コンサルタントのようなこともしているし、

木工のクラフトビジネスもしている。


なので、(なんちゃって)海外起業家のような表現の方が合っているかもしれない。

肩書については、もっとしっくりしたワードを考えていこう。


何度も言うが、
タチカワデザイン事務所(TDS)のメインの仕事は建築デザインだ。


施工実績は小規模なものが数件しかないが、

起業してから7年、設計デザインは住宅から集合住宅、カフェ、日本庭園、店舗内装、日本食レストラン、東家などがある。
様々な経験をさせてもらった。

建築パースや図面のトレース業務も受けていて、その主なクライアントは日本だ。

アウトソーシングでお客さんとの相性とタイミングが合えば、

日本とパラグアイの13時間(夏時間は12時間)の時差を活かし、

効率的に作業を回すことができる。



当然、僕一人ではこなすことができないので、

僕の右腕のジョンくんが設計デザインを担当してくれている。

非常に優秀な相棒で、どんな大変な仕事も挫けずこなしてくれる。

なんにでも興味を持って楽しむことをモットーにしているそうで、本当に頼もしい存在だ。

もちろん建築デザイン以外のTDSの仕事のほとんどにコミットしてくれている。

彼なしにTDSのビジネスは回らない。

ちなみに彼は、僕の大学の同じ研究室の2個下の後輩だ。

パラグアイまでわざわざ来てくれたことに感謝でしかない。


「日本人の建築士」ということだけで、
今までお客様から依頼を受けることも少なくなかった。


パラグアイ政府の観光庁から、イグアス移住地の文化施設「Casa japonesa(日本の家)」というプロジェクトではJICAのシニア専門家と共同で設計デザインを行うこともできた。

JICAのプロジェクトで、南部エンカルナシオン日本人会からの移住資料センターの基本デザインにも参加させてもらうことができた。


正直、日本にいたら経験できないような貴重な経験をたくさんさせてもらった。


僕がよく話すのが、

パラグアイに来たことは「遠い近道」だった、ということ。


日本の反対側、18,000kmも離れていて、

飛行機で40時間近くかかる。


日本から初めて来た人の最初のコメントのほとんどが、


「遠い」だ。


幸いにも、パラグアイは親日国で、日本は一目置かれた存在となっている。

これも、日本人移住者の方々の貢献がものすごく大きいと思う。


今でもパラグアイ社会への日本人・日系社会の影響は大きいものがある。


国民性も穏やかで、社交的で、とにかく優しい。

食材には困らないし、日本人が暮らすにはとても良い国の一つだと思う。


ただ、夏は暑い。

最高40度を超える日がよくある。。


大学で建築デザインを選んだ理由としては、

幼い頃から建築が身近に合ったことが大きい。

親父が建築関係なので、いろんな現場に連れて行ってくれた。

そこには、多くの職人さんたちがいて、皆がプライドを持って仕事をしていた。


小学校まで僕の遊び場は、父親の職場で、よく建材や梯子なんかを組んで、

遊んでいたことを覚えている。




話が逸れてしまったが、

僕らのメインの仕事は建築デザイン、ということを覚えてもらえれば嬉しい。

画像:Casa japonesa

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