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あるフォルケホイスコーレでの話

フォルケでの4か月間、色んな授業があったけど、その中の1つに美術の授業がありました。この授業は少し変わっていて、朝10時からの2時間、美術室にあるものを使って何でも作っていいという、良く言えば自由だけど悪く言えばほったらかしな授業でした。先生は授業の一番初めにデッサンの仕方が書かれてある紙を配った後は、生徒の中に混じって自分も絵を描くといった様子で、何か絵の技法を教えてくれるといったことはいっさいありませんでした。最初は「なんだこれ」って戸惑ったけど、他の生徒たちは意外と自由奔放で、ある人は棚から大きなキャンバスを引っ張り出してきてそれをイーゼル(当時はその名前も知らなかったけど、絵を描くときにキャンバスを立てかける台)に立てかけて絵を描きだすし、ある人は外の藪から太めの木の幹を引っ張って来てそれに模様や文字を彫り始めるし、各々が気楽に思いついたことを始めていました。そんな授業だったから自分も変なプレッシャーから解放されて色んな事に取り組めました。鉛筆画、水彩画、粘土、彫刻、それから今まで触れたこともなかった麻のキャンバスをイーゼルに立てかけて画家チックに絵を描いたりもしました。授業中は創作に没頭していて、毎回2時間という決して短くはない時間があっという間に経っていました。ある日のこと、その日はアクリル絵の具でこの学校のロゴを自分なりにアレンジして描いていたんだけど、授業も終わりに近づいていたから、急いで描き上げて、筆を片付け、使い終わったパレットをゴミ箱に捨てに席を立ちました。すると先生が前からやって来て、すれ違いざまに自分のパレットをみて「それは今日の君の絵か?」と聞いてきました。正直びっくりして「まさか、違います。自分の絵はあれです」と机の上に置いてあった絵を指差すと、「そうか、学校のロゴを描いてくれたのか、ありがとう。良い絵だ」といって去っていきました。まさかこのぐちゃぐちゃなものが誰かの注意をひくなんて全く思ってもいなかったので、とても印象に残っています。これがその時のパレットです。

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「これが自分の絵だ」という気にはなれません。それは、これが自分で描こうと思って描いたものではないから。正直良さもわからないし。でも、初めからゴミだと決めつけて見向きもしなかったものを、いったん意識して考えるようになれたことが自分には重要なことでした。

この授業は決して専門的ではなかったけど、自由で開放的で寛容な雰囲気があって、とても楽しいものでした。(こういうのは、やっぱり点数や成績に縛られないこの学校だからこそだと思う)

これまで義務教育などで自分が受けてきた美術のクラスは、いつも何かしら課題が設けられていて、自由であるよりもむしろ上手いか下手かが重視されていたし、自分も「うまく描けてこそ価値がある」と思っていたけど、実際その価値観は美術とか芸術のあるべき姿から外れているのかもしれない。話がパレットからかなり飛んだけど、教育や美術について考えた出来事でした。

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