見出し画像

「神話」

以前見た映画
「インディペンデンスデイ」や「スリーハンドレッド」、
日本の映画で言うなら
「シン・ゴジラ」や「二百三高地」「日本の一番長い日」、
また、このNOTEでも紹介した木下恵介監督の映画
「陸軍」などを見ても、強く感じ取ってしまうことがある。

「戦争」
という現実を受け入れる、
あるいは
「戦場に赴く自分、
 あるいは親しい人」
という現実を受け入れるために、
人は「神話」や「物語」というものを
作り出したのではないかと思う。

自らを「神話」や「物語」の世界の中におき、
その世界の登場人物として
振舞うことをイメージでもしなければ、
とてものこと、
人を殺したり殺されたりに特化した
「戦争」という状況を受け入れることは
できないのではなかろうかか?
自身の心を保つことが
出来ないのではなかろうかと
思えてならないのだ。

それは
「国生みの神話」
であるのかも知れない。

「大東亜の建設」
という神話なのかも知れない。

「愛する郷土を守るため」
というのも、
立派な神話になり得るし、
身近に視点を置くならば
「親しい人を守るため」の戦いも、
「自身のプライドを守るため」の戦いすらも、
神話になり得るのだ。

そうして、
数々の神話を自分の中に、
あるいは人々の共有意識の中に
作り出していきながら、
人はこれまで
戦争をし続けてきたのではなかったか。
 

全学連や学生デモの華やかりし頃、
大学を占拠しバリケードを築いて
警察や機動隊と対峙していた若者達は、
徹夜で見回りをしながらお互いに
「夜明けは近い」
と言い合っていたそうだ。

彼らも革命という
「神話」の中の登場人物として自らを置き、
その高揚感に浸ることで
現実の恐怖を抑えていたのだろう。

 
私も神話は好きだし、
物語も嫌いではない。

でも、
生きながら神話の世界の住人として
自ら振舞わなければならないとしたら、
それは悲しいことだと感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?