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小説『天使さまと呼ばないで』 最終話


あれから、10年の月日が経った。


ミカは、相変わらず清掃の仕事をしている。変わったことと言えば、仕事ぶりを認められて、5年前から正社員になったことだ。

世間から見れば給与は決して高くないが、固定給をもらえることはありがたいし、夏と冬には僅かだが寸志も出る。


レイカとはたまに雑談をする程度の仲になったが、3年前にレイカが栄転し東京の本社勤務となったので、もう会うことはない。


ナミは誠実で優しい男性と結婚して、今は子供が2人いる。住んでいる場所が遠いので、結婚式以来会えていないが、時々近況を報告している。

自分が得たかったものを全て得ているように見えるナミが時々羨ましくなるが、きっとナミもナミで大変なことは色々あるのだと思う。素晴らしい親友の幸せをミカは心から嬉しく感じている。


ハンドメイドの洋服販売は、丁寧な縫製と流行に左右されない上品なデザインが評判となり、固定客もできてきた。とはいってもまだまだ無名なので、月の利益は2〜3万円ほどだ。

借金は今年で完済の予定だったが、ハンドメイドの収入のおかげで少し早く、2年前に完済できた。

今も利益のうちの1割は慈善団体に寄付していて、残りの9割は服飾の専門学校に通うために貯金している。目標金額まで、あと少しだ。学費が工面できたら、働きながら夜間部に通うつもりだ。


もちろん、今はエンジェルカウンセラーとしての活動は一切していないし、Factbookももう辞めた。ただ10年前に書いたあのブログはまだ残している。

これからスピリチュアルなものに興味が出た人への注意喚起になればいいなと思っている。


数年前に一度、興味本位でインターネットで『エンジェルカウンセラー ミカ』というワードで検索したことがある。

するとそこには、自分への罵詈雑言がわんさか出てきた。

本当に反省してるなら返金しろよクソババア!

あのブログ、「みすぼらしい自分」アピールして同情誘って許して欲しいだけでしょw

どうせ今もどこかで詐欺でもやってるんじゃね?表に出てないだけで。

自業自得なのに自分は被害者ってアピールしてて「うざぁ・・」って思った。

「役に立ちたい」って最後まで綺麗事言ってるけど、人間性なんてそうそう変わらないでしょ。どうせ何もしてないに決まってる。


こうした辛辣なコメントの数々を見て、胸が痛んだ。

今はスピリチュアルな活動は一切してないし、わずかながらも募金を継続してるのに、彼らの中ではまだ自分は『嘘つきの詐欺師」のままなのだ。

正直、「違う!」と弁明したくなったが、必死に我慢した。

なぜなら、それは自分の『良い人間と思われたい』というエゴでしかないからだ。それに募金は純粋な善意ではなく、自分の償いのためにしている面もある。

これからも自分は、ずっと『嘘つきの詐欺師』呼ばわりをされて、世間から恨みをぶつけられる存在でいつづけるのかもしれない。だが、そうなっても仕方のないことをした。だから、この事実は受け入れなければならない。

世間はわかってくれずとも、自分にはナミのように理解をしてくれている存在がいる。そして何よりも、自分自身がもう過去の自分ではないことを知っている。それだけで十分だ。


仕事では、ユミコさんは5年前に退職し、今は娘さん家族と同居しているそうだ。ヒロコさんは3年前に別のビルの担当になった。

今のミカはかつてのユミコさんやヒロコさんと同じように、下の人に仕事を教える立場だ。


今職場でペアを組んでいるのは、リンという名前の18歳の女の子だ。この仕事を選ぶにしては若いし、金髪で派手な見た目だったので最初はびっくりしたが、言葉遣いは少し荒いものの、根は素直な良い子だ。



昼休憩中、リンは浮かない顔をしていた。


「どうしたの、リンちゃん。何かあった?」

「いやーまじ最悪っすよー。こないだ掛け持ちしてる居酒屋のバイト早上がりしたんすけど、家帰ったら彼氏と知らない女がいてぇ」

リンちゃんは5歳年上の彼氏と同棲をしている。

「えぇっ!?どうしたの!?」

「めっちゃ腹立ったんすけど、『友達』って言い張るからなんも言えなくてぇ。別にエッチしてるわけじゃなかったし。でもイチャイチャしてたからあれ絶対浮気だろーなー」

「彼氏さんとは別れないの?」

「うーん、もう絶対女の子は家に呼ばないって約束したんで、信じよっかなって」

「うーん、でもこの間その彼氏さん、パチンコのためにリンちゃんのお金勝手に使ったって言ってなかった?」

「はい・・・」

リンはしゅんとしている。

「話を聞いてると、リンちゃんが付き合う価値のある人とは到底思えないんだけど、どうしてまだ付き合うの?」

「いや、良いところもあるんすよ!パチで勝った時はご飯奢ってくれるし、暴力だって振るわないし!」

「いやー暴力振るわないのは人として当たり前でしょう。それに普段はリンちゃんが手料理を用意してるんでしょう?たまにご飯を奢ってくれるぐらいは普通だと思うけど・・・」

「でも、他に頼れる人もいないし・・・」

ミカはリンの表情に、ピンときた。

「リンちゃん、もしかして・・・小さい頃、ご家庭で暴力振るわれてた?」

「えっ!?どうして知ってるんすか!?」

「うーん、なんとなく。普通の人だったら『暴力振るわない』ってのはもう当たり前の、最低限守るべきことなのね。

それを良いところだと思うってことは、リンちゃん、暴力が当たり前のご家庭で育ったのかなって・・・それに、食事のことも、もしかするとあまりちゃんと用意してもらえなかったのかしら?」

「そうなんすよ・・・8歳までは毎日親父にボコボコに殴られてて。親が離婚してからは、殴られることはなかったんすけど、うちの母親クソビッチで、しょっちゅう男の家に泊まりに行くから、そん時は食事も用意してくれなくて・・・」

リンの声はだんだんと小さくなっていき、目が少し潤んでいた。

ミカは思わず、持っていたハンカチを渡す。

「そんな辛い状況の中で、頑張ってきたんだね、リンちゃん」

「いやいや、今はもう両親とも縁切ったし、大丈夫っす!」

「うーん、でもね、その心の傷は、多分今のリンちゃんにも何か影響を及ぼしてると思う」

「影響・・・?」

「リンちゃん、最初は派手な見た目だからびっくりしたけれど、一緒に仕事していて、素直だし真面目だしすごく素敵な女の子と思うよ。でも、リンちゃんはそんなリンちゃんの良さがちゃんと見えてないんじゃないかな」

「私の良さ・・・」

「もし私がリンちゃんのお母さんだったら、絶対にそんな男とは別れさせるよ。だって、リンちゃんのことちっとも大事にしてないじゃない。

私はもっと、リンちゃんに自分のこと大事にして欲しい。そんな不誠実な男性のために、リンちゃんの貴重なお金や時間を無駄にして欲しくない。

リンちゃんが過去にどれだけ酷い扱いを受けてようとも、リンちゃんにはちゃんと価値があるのよ。誰かに傷つけられて良いわけがない!」

「ミカさん・・・」

「リンちゃん、その彼氏とは別れよう!リンちゃんには絶っ対にもっと素敵な人が現れるから」

「でも・・・やっぱ良いところもあるし・・・それに私お金ないし実家も頼れないから今の家から出られないし・・・」

「別に今すぐ別れたくなければ、少し時間をかけて考えてみたらいいよ。その間に彼氏に見つからないところで、少しずつお金を貯めていったほうがいい。もし別れないにしても、お金はあるに越したことないでしょ?

それに、本当に困った時は、いつでも私を頼ってくれていいから」

「ミカさん・・・ありがとうございます!」

「リンちゃんは本当に、素敵な子だからね。自分の価値を信じて。自分を、大切にしてね」

これはミカの本心から出た言葉だった。


リンは言った。

「それにしてもミカさん、凄いっす!私のことめっちゃ当てて!もしかしてミカさんって霊感とかあるんすか!?」


ミカはドキッとした。かつてのエリに言われたセリフを思い出したからだ。

ミカさんすごいです、どうして私のことそんなにわかっちゃったんですかぁ?もしかして・・霊感があるとかぁ?


「・・・そんなもんないわよ〜!単にちょっと勘が働いただけ!」

ミカは手を振りながらそう言って笑った。


「いやー、私、ミカさんが天使に見えましたよ!

ミカさんに話を聞いてもらうと、いつも心が軽くなるんすよねー。

ミカさん、こういうの仕事にすれば良いのに!ぜーったい売れますよ〜」



その言葉を聞いた瞬間、ミカの頭には走馬灯のように、過去の光景が次々と映し出されていった。


カウンセリングで出会った人々の顔、お茶会やセミナーで受けた拍手喝采、結婚指輪を返した時の薬指の日焼けの跡、ネット炎上の時に新幹線から眺めた穏やかな夕焼け、ショウに裏切られて泣きながら見た金貨のような満月、ユウコの柔らかい笑顔とストロベリー・ホワイトモカの甘い味、コウタに振られた日に舞い散っていた桜・・・・・


そのどれもが、たとえ悲しく辛い思い出であっても、まるで映画のワンシーンのように美しく、優しく、淡い色合いで、ミカの頭の中に浮かんでは消えていったのだった。



「・・・ミカさん?」

リンがこちらの顔を覗き込む。ミカはハッとして元の世界に戻った。

「ああごめんごめん、ちょっとぼーっとしちゃった!

そんな仕事やったとしても売れないって!私なーんの専門知識もないし!

それに私、今の仕事が一番楽しいし、もう十分幸せだから!」

「そうっすかぁ・・・」

リンはちょっとがっかりした様子でそう言った。





その時ー

視界の片隅の、いつも掃除用具を置いているだけの部屋の角の方に、薄白く光るものが見えた。

それはまるで雲のように淡くぼんやりとしていて、光が当たった水面のようにキラキラと輝いている。

ミカは息を呑んだ。



(てんし、さま・・・?)



目を閉じて、小さく深呼吸する。

ドキドキしながら目を開ける。そしてゆっくりと、部屋の角へとまた視線を運んだ。

しかし、もう何処にも、あの白い光は無かった。



(・・・ううん、きっと気のせいね)

ミカは自分にそう言い聞かせ、にっこりと微笑んだ。




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