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【『孤狼の血 LEVEL2』評論/ライター・西森路代】

日岡と大上の間には「継承」があった。では日岡と上林の間にあるものは何なのか… 

  
 これまでにも、ヤクザや警察組織の人間模様を描いた作品を見てきた。そのとき、登場人物の関係性としては、親と子ほども離れた同士が反発しあいながらも、知らず知らず「継承」するものもあったし、相反する組織に属する人間同士、「決して交わってはいけないのに、お互いを認識した瞬間から、何かシンパシーを感じあい、どうにも惹かれてしまう」というものもあった。

 前作の『孤狼の血』を見たものならわかると思うが、まさに『孤狼の血』は、役所広司演じる大上から、松坂桃李演じる日岡への継承の物語であり、その中にも、同じ組織内での潜入捜査の性質が加わり、騙し騙されの中だからこそ、本物の気持ち――例えばそんな殺伐とした中にも情が通い合う瞬間があるからこそ、「継承」につながるのである――がぐっと浮き上がる瞬間に心を掴まれた。

 では『孤狼の血 LEVEL2』はというと、日岡が完全に大上のやりかたを血肉化したところから始まる。そして新たに、常識はおろか理屈すら通じない、獣のような上林(鈴木亮平)が現われるのだった。

 日岡は大上のやり方を踏襲し、悪に限りなく同化することで、暴力団の力を抑え、広島の治安をギリギリ維持しようとしていたが、その一方で日岡は自分の力と策におぼれそうにもなっていた。日岡は、恋仲のバーのママの近田真緒(西野七瀬)の弟のチンタ(村上虹郎)を上林組に潜入させたり、定年間近の相棒の瀬島(中村梅雀)とコンビを組んで敵に挑んでいた。

 しかし、潜入モノにはなんらかの悲劇がつきもので、その悲劇を体験したあと、しみじみと「なんでもないやりとり」と、それを思い出せる小道具が存在しているものである。ただ、この「なんでもない」ことを観客に、せつなく思い出させることは、そう簡単なことではない。

 過去の作品では、『インファナル・アフェア』のトニー・レオン演じる潜入捜査官とそれを指示するアンソニー・ウォンが演じる警察上層部との腕時計のやりとりや書類の存在、潜入先で出会う、どこか抜けたところのあるチャップマン・トー演じる舎弟とのやりとりが思い出される。また『新しき世界』にも、ファン・ジョンミン演じるチョンチョンと、イ・ジョンジェ演じるジャソンの中国の偽物の時計のくだりもあったし、やはり書類に秘密があった。もちろん、『新しき世界』は、先行する『インファナル・アフェア』などを研究した上で、そうしたシーンを生み出していたのだろう。『孤狼の血』であれば、大上のZIPPOが大きな意味を持つし、ここでも書類は重要な鍵となっていた。

『孤狼の血 LEVEL2』では、どのシーンに「なんでもないやりとり」があり、小道具に秘密が込められていたのかは書かないが、そうした「なんでもないやりとり」や小道具を、今までのやり方とはズラして思い出させるシーンになっているため、せつないのと同時に殺伐とした感情を抱いた。それは、私にとっては非常に新鮮な感覚であった。

 この映画は、人と人との化かしあいにハラハラさせられるだけでなく、冒頭に書いたように、「決して交わってはいけないのに、お互いを認識した瞬間から、何かシンパシーを感じあい、どうにも惹かれてしまう」ということまで描かれていた。

 もちろんそれは日岡と上林のことである。しかし、この二人の関係性は、相反する組織の人間同士であるのと同時に、人間とモンスター、いや獣と獣との関係性ととることもできる。先述の『新しき世界』の監督のパク・フンジョンは、猟師と虎との闘いを『隻眼の虎』で描いたが、人間と虎が対峙するうちに、汚れきった人間よりも、虎という獣のほうが、よっぽど仁義と知性があって、唯一無二の好敵手であると思えてくるような物語であった。闘うふたりにはリスペクトが生まれるものである。

 日岡に対峙する上林も、理屈など通じない非道な人間であったが、自分でもコントロールできない力をずっと鎮めたいと思っていて、それを鎮めるのは日岡でないとという確信があったのではないだろうか……。

 私は、内外を問わず、こうしたジャンルの映画のファンであるから、ジャンル映画につきもののパターン――それは東映の『仁義なき戦い』がもとになり、アジアに伝わった部分もあるだろう――を踏襲しながらも、さらに新たなものを生み出し、複雑化していっているのを見るのも喜びであり、この映画にはそれを大いに感じることができた。

『孤狼の血 LEVEL2』を見終わって、今後も日岡の前に様々な人物が現われ、ときにシンパシーを感じながらも戦っていく姿を、この先もずっと見続けることができるのだと確信した。その敵は、人であり、組織であり、ときには社会にもなっていくのではないだろうか。