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犬、犬、イヌ、犬が可愛い

一番最初の記憶を探ってみる。一番古い記憶にも一緒に住む動物がいる。

最初は猫だったと思う。この頃の記憶は曖昧だ。何匹か飼っていたような気がする。寿命で亡くなってしまったのか、誰かに譲ったのか、逃げてしまったのかそのあたりも曖昧だ。おそらく3歳くらいの頃の記憶。
次は犬だ。大きな犬。ラブラドール・レトリバー。1代目のその子から何年経ったのだろう。

今私は実家に住んでおり、明るい両親と自由奔放な年下の兄妹2人計5人と犬3匹とリクガメ2匹とともに日々過ごしている。
1番上のフレンチブルドッグは白と黒(パイドという毛色だ)、2番目はシーズー、3番目はビーグル(これはレモンカラー)。
3匹もいると流石に世話はかなり大変だが、とにかく可愛い。

犬が何故こんなに可愛いのか。

※生活感溢れる実家の犬達の写真を挿入しています。

(1)素直である
個体差はあるが基本は素直だ。嬉しい時は嬉しがるし、機嫌が悪い時には「わたし機嫌が悪いです!」という顔をする。寂しい時は寂しいと言う(多分そう言っている)

(2)もふもふである
フレンチブルとビーグルはいわゆる「もふもふ」には含まれない毛並みだが、広義の「もふもふ」には含まれている。どの人間を触ってもこの毛並みはない。
昔はシーズーやプードルなどの毛抜けが少ないもふもふが好きだったが、硬めの毛並みもなかなかに触りごごちがいい。

(3)仕草が人間では無い
私たちは人間に囲まれて生きている。コンビニに行っていらっしゃいませと声を張る者も人間、満員電車で触れ合うのも人間、料理を作るのも人間、テレビに映るのも人間、人間、人間、人間だらけだ。
箸やらを使って食事をするし、右足と左腕を出して一歩目を踏み出すし、最近大きくなるばかりのスマホを何とか片手で持ってフリック入力する。
こんな生活のなかで人間ではない仕草、動きを見るのは純粋に楽しい。
特にフレンチブルドッグの仕草はおかしい。そこが可愛い。何故撫でるだけで前足を伸ばして、お尻だけ上げるのか、さっぱり分からない。
時々気になるのか尻尾を追いかけるビーグルもおかしいが。

(4)相手の都合なんて気にしない。わがまま
今まで飼ってきた子たちでもかなり個体差があるが、今の三匹はとにかくわがままである。わがままというか、こちらの都合を気にしないのだ。
前に飼っていたコーギーは頭がいいのかとにかく飼い主思いの犬だった。落ち込んでいればそっと寄り添ってくれたし、こちらが遊ぼうとすると気が向かなくてもボールを追っかけた。甘えてほしいと私が思うと甘えた。これはこれで可愛いのだが、ちょっと出来過ぎな犬である。
今飼っている3匹は落ち込んでいても、飛びついてくるし、具合が悪くて寝ていてもおもちゃを持ってくるし、かと思ったらおもちゃを投げても追いかけないし、2番目のシーズーなんて最悪だ。気が向かない日は散歩に行かないし、触るだけで怒るし、傍若無人である。恐らく専門家が見たら、「あなたのことを子分だと思っています。躾がなっています」とか言うだろう。
でもそんな自分勝手っぷりが可愛くそして羨ましい。

何にせよ犬は可愛い。

でも犬は私よりたぶん早くに死ぬ。看取るのは辛い。けど仕方ない。寿命だ。
人間もいつか死ぬし。これもまた仕方ない。
それならばその日まで楽しい日々を過ごすしかない。

とにかく犬が可愛い。
専門家に何て言われようが、今日も一緒に寝よう。

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