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少年時代 サッカー少年だった

2022年サッカー・ワールドカップ
日本チームの戦いは終わった。
そして遙か昔、私はサッカー少年だった。

・9才まで
言葉で「つ」が付く年齢までは子供は神様に近いという。
ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ。
ここまでは鬼太郎や神様が見えているはず。水木しげるさんは死ぬまで見えていたそうな。
ちなみに9才までの私の記憶は断片的な記憶とか情景が混ざり合っており、時間軸は完全に狂っている。つまり明確ではない。

私には2つ違いの弟がいる。兄弟仲はいい、常に一緒に遊んでいた。たまにいじめたりもしたが、弟が外敵にやられた時は、敵討ちに行くくらいの愛情と根性はあった。

・10才から12才
元々、死産で生まれ心臓に病気が出る可能性もあり、成人するまでは慎重に生活しなさいと医者から言われた。
だから、お袋は長男の私を慎重に育てた。
室内飼いの犬のように家にいたので、本を読む習慣がついた。そして虚弱体質となる。

イジメ
調布村のど田舎の小学校に通い出すと、色白で線の細い、坊ちゃん刈りの私はハイエナ達の餌食となった。
「生意気だ」といじめられる。
しかし見かけとは違い、気が強かった私。
当然抵抗した。力がないので、噛みつきや、砂や石などの武器で立ち向かった。一度、給食をトレイごと投げつけて、親が呼ばれた。
しかし、その抵抗も最初だけは通じるが長続きしない。そこで私は身体を鍛えることにした。
この頃から孤独な練習が癖となっている・・。(嘘)

・覚醒か
フィジカルトレーニングを始めると同時に身体も大きくなってきた。
そして小6の運動会ではついにリレー選手に選ばれた。常にビリ争いだった徒競走でも3位となり初めてノートを貰った。

さらに運動会では運営放送も担当した。また全員体操の時、朝礼台の上で体操をした。
私より運動能力がある子供も多かったが、何故か先生に選ばれるタイプの子供だった。
おそらく賢そうな顔をしていたからだと思う。

ボクシング対決
当時の男の子なので、喧嘩もした。
ただ皆の私に対する印象が変わったのはボクシング事件後だった。
小6の時、兄貴がボクシングをやっている子がいて、中古のグローブを教室へ持ち込み、ボクシングのトーナメントを放課後開催した。
実はその子は家の近所に住んでいて、私はその子とたまにボクシングごっこをやっていた。

喧嘩は弱いと思われていた私も、グローブを使ったことがあるというアドバンテージが少しあるので参加した。
そして大方の予想に反して決勝まで行ってしまった。
サッカー・ワールドカップ、ドイツに勝った日本みたいに驚かれた。
決勝では野球部のエースと対決した。
にらみ合いが続いたが時間切れ、先生が乱入、危険行為!として怒られた。

・ノックアウト
後日、私が強い(ボクシング)という話が広がった。
そして、学校へあまり来てなかったテキ屋の息子、こいつはボクシングを実際にやっているので、そのプライドからだと思うが、
「俺と勝負しろ!」と言う話になった。
私は気が進まなかったが結局タイトルマッチ開催となった。

結構人が集まった。その中で打ち合いが始まった。基本ど素人の私、開始1分でノックアウトされた。殴られるという感覚を初めて味わった。目の前が真っ白になって倒れた。

ギャラリーは大騒ぎだ。私は女子達に介抱された。勝った男は女子に攻められていた。
ちなみにその中の女子(近所の幼なじみ)が特に優しくしてくれた。
そして私に少し恋心が芽生えたのであった。
スポーツの方は、サッカーで活躍出来るようになっていた。

・中学生になった
勉強をした記憶がない。
この時期には完璧に体育会系となっておりサッカー部に入った。
当然、この時代、中学校には番長と取り巻きの不良がおり、イジメなどが日常的だった。
その中で中学生活を生き抜くには、サッカーで認められて、サッカー部のごつい先輩達と仲良くなる。その作戦で行くしかないと結論づけていた。
また孤独な練習を実施したが、今度は弟を練習相手とした。

部活のない日に小学校の校庭で、練習をしていた。すると、何故か弟の友達も練習に参加するようになり、それが10人以上になり、私は中学校からサッカーボールを何個か調達した。そしてサッカーチームを立ち上げた。

メンバーの名簿も作って、練習メニューも考えて、各自のタイプでポジションも決めた。
そして、皆をコーチした。部活の練習メニューをそこで復習していたので、自分の練習にもなった。身体はボロボロになっていたけど、楽しい日々、趣味の読書で読む本はサッカーマガジンとなり、私はサッカー少年になっていた。

・過酷な現実
そんなある日、地元のスポーツ少年団のおっさんが、自分のサッカーチームと合併しようと言ってきた。
私は、そのクラブの設備や道具も使えるので合併することにした。
そのおっさんは、私のチームに全く大人が関与してないと知って、驚いていた。
それはそうだろう。私の個人的な手腕と人気だけで集まったサッカーチームだ。
私はそこでコーチの一人として、少年団の練習に参加し、楽になったぶんだけ部活に専念することにした。

実際この頃、身体は悲鳴を上げていた。膝が腫れてトイレで座ってウンコが出来ない。赤いオシッコが出た! などなど。
酷いときは朝歩けなかった。
そんな時は、同級生のOくんが毎日自転車の後ろに乗っけて学校まで送ってくれた。O くんは、少し頭は悪いが身体は大きくっていい奴だった。彼もスポーツ少年団に入ってサッカーをしていた。

補導、警察に捕まる
こんな状況になると私は不良グループと違う階層を生きており、彼らに絡まれる事は少なくなっていた。
しかし、この自転車で私を送ってくれたOくんは、その後不良グループの構成員となった。家庭に問題を抱えていたこともあった。

そして、夏休みに駅に近い東急ストアーで買い物していたとき事件が起きた。
そこのトイレでOくんとその友達がシンナーを吸っていたのを私は見つけた。
声をかけたが完全にらりっていた。目が死んでいる。

その日は最悪だった。私がストアーを出たとき、顔を知っている奴に声をかけられた。
立ち話をしていたその時、そいつは補導員に捕まる。万引き犯だ。私も仲間とされて同時に捕まった。
彼は常習犯だったらしく、有無を言わさずにパトカーに乗せられて、警察へ連行された。
私もオマケでパトカーに乗った。駅前のストアーだ。目撃者多数で、私の逮捕劇はその日の内に地元を駆け巡った。

暗い部屋で、詰問されて、全ての指の指紋も取られて、夕方に開放された。
もらい受けにきたお袋が言う
「あんた、友達は選びなさい、酷い目にあうよ」
その後、お袋の教えに従い、不良とか真面目とか関係なく、自分に取って危険な輩からは遠ざかることにした。

・サッカーチームに問題勃発
思いも寄らない問題が少年団のサッカーチームで勃発した。
リーダのおっさんが、会費を請求してきたのだ。
当初そんな話はなく、一緒にやってくれと言う話だったが、少年団の運営にはお金がいるといい。
それは了承済みだったと言う。後出しだろう。
聞いてないし、私のチームは子供達の集まりの延長線上にあり、そんなことで親に金を貰うことは無理だった。

・お袋は怒った。
少年団のチームから、私の仲間が全員が抜けることをおっさんに告げると、おっさんは慌てて家に来て、お袋に事の顛末を説明した。
お袋は私のやっていることを殆ど知らなかった。でも、このおっさんは子供に嘘をついていると感じたお袋は、
怒った! 
私より怒り心頭していた。
大人の話合いが始まり、結局会費は不要で、遠征などは各自が実費でお願いするという結果となった。他の子供達の親も、普段の私の面倒見のよさから納得したようであった。

私としては、初めて経験した大人との折衝だった。
それでも少年だった私は怒りもあり、その後、このチームの練習には顔を出さなくなった。

一方、弟も含めて他の子供達(小学生)はその後、チームで練習を積み、東京都の小学校サッカー大会に出場した。
駒沢競技場の芝の上で試合をすることもでき、いい思い出になったようだ。

・新しい景色を見る
私はサッカーの特訓のおかげで益々速く走れるようになっていた。
そして弟も行った駒沢競技場で、世田谷区の全中学校の陸上大会があり、私は中学の代表として400mリレーの第一走者として走った。
スパイクを履いて走ったのはこの時が初めてだった。
声援が渦巻く満杯の陸上競技場で、私は新しい景色を見ることが出来た

11才から15才までの間に、虚弱体質から脱し、少し自信を持てるようにもなり、大人の都合、嘘、友達の本質にも気づいたりした。そんな少年時代であった。

高校生となった私、高校生活で更に過激な経験をする。(続く)

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