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コーヒーがそんなに好きじゃなかったわたしが、コーヒーを売るまでの話。

ただいま、note。

基本的に文章を書いていると挫折しがちな私ですが、残したいこと、伝えたいことができたので改めて筆をとりました。

タイトルどおり、珈琲屋を始めました

こちらのサイトで豆販売をしています。
珈琲屋tane to mame コーヒーヤタネトマメ
https://tanetomame.thebase.in

始めた経緯や、コーヒーに対する思い、お金のこと、今やっていること、これからやろうとしていることなどなど、いろいろ書いていけたらと思います。

自分の頭の整理・備忘録としてはもちろん、これからコーヒーのことをチャレンジしてみたいって方の参考になれば嬉しいなあと。

今回の投稿では改めての自己紹介がてら、なぜ、たなかみゆはコーヒーをはじめたのかってことを書きます。(以降、自分でもびっくりな長さになりました。コーヒー片手に読んでくださいなー。)

コーヒーとの出会いと気づき

大学2年生の冬、スターバックスでアルバイトを始めた。

コーヒーを好きになるまでは母とともに紅茶を好んで飲んでいたので、コーヒーが好きだからという理由でアルバイトを選んだとか、そんな理由では全くない。

超単純で影響を受けやすいわたしは、ある一冊の本に書かれていた言葉でスターバックスでバイトしてみようかなあ、と思い立った。

当時、松浦弥太郎さんにはまっていて。
「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある」という書籍を読んだときに、弥太郎さんのいう50のやりたいことのなかにスターバックスで働くという項目みつけた。

思い立ったらやらずにいれない性格のわたしは、その瞬間にぴんときてウェブのエントリー項目を記入。無事面接に受かって、スターバックスの店員さんになった。

弥太郎さんの言う通り、スターバックスで働き始めてから、日々がより楽しくなった。社員・バイト関係なくみんなモチベーションが高く、コーヒーに対する愛も深い。そんな中で働いていたら、自然にコーヒーを愛するようになった。

とはいえ、紅茶派のわたしがバイトを始めた瞬間にコーヒーが飲めるようになったわけではない。酸味が苦手で深煎りのコーヒー以外はあまり好きじゃなかったので、朝礼のタイミングで飲む50mlくらいのコーヒーさえ、そろりそろりと飲んでいた。

酸味やいろんな味のコーヒーも含めておいしい、と感じるようになった経緯を伝えたい。

わたしは、コーヒーを味ではなくストーリーを知ることで飲めるようになった。

ある日、「これ、僕が好きな豆なんよー」とグアテマラ産のコーヒー豆のパッケージにこめられたストーリーを、社員さんから教えてもらった。

パッケージに描かれている鳥模様のストーリーを聞いて飲んだコーヒーは、深煎りでもなく酸味もあるのに心からおいしいと感じた。

”「おいしさ」には構成されている味だけではなくストーリーや感情も影響する。”

その気づきを得た後は、コーヒーのストーリーを知ってから飲むことでいろいろなコーヒーが飲めるようになった。(たくさん飲んだ積み重ねで味に慣れたというのももちろんあるかもしれないけれど)

それからは少しでもおいしく感じてもらえたら、とお客さまにコーヒー豆の説明を軽くそえる接客をこころがけた。説明をするためにコーヒーの勉強もはじめた。

バイト中だけではなく、友達や家族にもコーヒーを淹れるようになり、日常にコーヒーがあることが当たり前になった。

なんかコーヒーっていいなあ、コーヒー楽しいなあと、わたしの中でどんどんコーヒーは特別なものになった。

衝撃のコーヒーに出会う

コーヒー楽しい!となっていた傍で、大学では地域計画学研究室に所属し、地元の離島でまちづくり事業にのめり込んでいた。

ずっと徳島に住んでいて、大学でも外に出なかったわたしは徳島以外の地域を全然知らなかった。このまま地元以外を知らないのもなんだかなあと、行ったことのない地域に住んでみることにした。

大学3年生の夏に岩手県釜石市の企業へのインターンシップに参加。1か月半の期間、釜石生活をおくることになった。

その釜石生活をおくる中で、あるコーヒーとの出会いがあった。

コーヒー飲まない?とインターン先の社員さんに連れられ釜石のカフェへ。そこで飲んだ1杯がめちゃめちゃ美味しいというか、

なんだか、からだにすっと馴染んできて。衝撃。

コーヒーをストーリーで好きになった、と話したけれど、また別次元の新体験だった。

こんなにもしっくりくるコーヒーがあるんだと、心のそこから驚いたし、おいしいと感じた。

よくよく話を聞くと、そのカフェで自家焙煎として取り扱っているコーヒーを地域のブランドとしてより多くの人に飲んでもらえるようにしたいと思っているとのこと。
みゆちゃん一緒にやってみない?と冗談交じりに言われ、やりたい!と即答した。

大好きなコーヒーのことが地方でできる。
地域でのコーヒーの可能性を探ってみたいな。とワクワクしっぱなし。

あれ。でも釜石って徳島からめっちゃ遠いぞ。どうやって関わろう。
その時に出てきた選択肢が、休学してがっつり1年間釜石に住みながら関わるということだった。

コーヒーと釜石の魅力にとりつかれたわたしは、1年の休学を選択し、4年生の半分を終えてから釜石に移り住んだ。

休学してコーヒーブランディングに挑戦

釜石での挑戦については別メディアでも書いてるのですこし、簡単に。

70seedsというメディアでコラムを書かせてもらっていました。現在公開しているのはこちらの2本です。
・休学して田舎から田舎へ。私を釜石へ引き寄せた1杯の珈琲
・地域のあじってなんだろう?移住したまちのコーヒーをブランドへ

わたしが挑戦したのは、コーヒーを地域のブランドにすること。

「地域の味になりたい」という思いをもち、自家焙煎珈琲をブランディングしたいというオーナーの鮎子さんの思いからつくられたコーヒーブランド「鐡珈琲(クロガネコーヒー)」

飲んだ瞬間にからだに馴染んだ味は、いろんなひとに愛されると信じ、「地域のコーヒー」になるための挑戦をはじめた。(挑戦詳細についてはコラムをお読みください)

コーヒーは想いを伝える手段である

「地域のコーヒー」になるための挑戦を進めていく中で気づいたのは、オーナー鮎子さんの地域のコーヒーになりたいという思いはもう一段階深いところにあったということ。

『コーヒーはツールである。』
鮎子さんがよく言う言葉。何のためのツールか。

鮎子さんにとって、コーヒーは「想いを伝える手段」だった。

相手を想い、ほっと一息ついて欲しいという温かい気持ちがコーヒーを通じて伝わる。「地域のコーヒーになりたい」を掘り下げると、地域のより多くの人たちに安全安心なほっと一息つける時間を作って欲しいという想いからだった。

「コーヒーは想いを伝える手段である」という概念は、最初に釜石でコーヒーを飲んだ時のように、わたしにすっとなじんだ。

目の前のひとのためにコーヒーを淹れるのが好きだと改めて強く認識したから。コーヒーを通じて、想いを伝えたいひとがいるから。

休学したての頃は大好きなコーヒーが地方でのビジネスとして成り立つのかなあ、とかそんなことを考えていた。
コーヒーが想いを伝える手段であると認識したとき、
”休学期間を終えたあとも、ビジネスかそうじゃないかは関係なく、想いを伝えるためにこれからもコーヒーを淹れ続けるんだろうな。”と。
コーヒーがわたしのそばにこれからもあることを強く感じた。

コーヒーに対する決意

釜石生活が終盤に差し掛かってきた頃、たまたまトークイベントで聞いた、地域文化で経済を回すという言葉。(遠野でto knowというとりくみをしている富川屋富川さんのお話です。)

ぴんときた。コーヒーで地域を発信したり、伝えていくことができるんじゃないか。それがわたしのこれからやりたいことなんじゃないかと。

鐡珈琲でも、地域の伝統工芸を使って珈琲を淹れるという取り組みをおこなってきた。それは釜石に限らず、いろんな地域のものでもできる。

器などの伝統工芸やたべもの、習慣、環境…地域を構成する要素はたくさん。

コーヒーを通じて地域を伝え、コーヒーを求めていた人に予期せぬ出会いを届けるひとになる。

釜石でお世話になった人にそう宣言して、釜石生活を終えた。

コーヒーに飢えた期間

釜石から帰ると、待ち受けていたのは卒論。
卒業できるかどうか怪しいと分かった時点から、コーヒーの取り組みは一旦何も考えず、卒業することに注力することになった。

コーヒーに関しては何も動かず、4ヶ月。(厳密に言うと、焙煎機を買うというアクションをしたけれど)
毎日自分のためにコーヒーを淹れていたけれど、コーヒーを通したコミュニケーションが一切ない生活は正直めちゃくちゃしんどかった。

卒論を書きながら思っていたのは、仕事を始めてからもコーヒーのことは絶対続けようということ。わたしはやりたいことをやれないと、こんなにもダメになるのかと身にしみて分かったから。

幸い複業okの会社に就職が決まっていたので、就職後も複業的にコーヒーのことをすることはできる。どんなふうにしようかなあと卒論の間に息抜きがてらぼんやりと妄想していた。

珈琲屋で出店をはじめた、けどコロナが来た。

何とか卒業が確定し、本格的にコーヒーのことをやれるときがきた。

3月に2週間限定で出店してみないかと、お声がけいただいていたので、
営業許可をとって卒業確定後の3月は徳島でコーヒーをいろんなところで出店することを決めた。

卒業後も出店やイベント実施が活動のメインで考えていたので、全国で使える食品衛生責任者の許可を取るいいタイミングでもあった。

いろんなご縁があって、何件か出店も決まり

焙煎機は事前に購入していたので、あとは営業許可をとって、器具をそろえるだけだった。(焙煎機購入やもろもろ相談でBOTA COFFEEの佐藤さんにはとてもお世話になりました!)

初期費用は痛いけどすぐに出店で回収できるし大丈夫!とか思いながら、許可をとり器具を揃えた。

屋号も考え、「tane to mame タネトマメ」という名をつけることをきめた。
タネには遺伝子、という意味がある。
地域に存在する遺伝子をコーヒーで伝えるという意味を込めて名付けた。

準備万端でいざ出店と思った矢先に起こったできごとには驚いた。

新型コロナ襲来。

決まっていたイベントがほぼ中止。
自分から出さない、と判断したイベントもあった。

コロナがおさまるまでイベントや出店はないだろうし、直近での初期費用を回収は難しい。

珈琲屋としてのスタートはなかなかきびしいはじまりだった。

そこで思いついたのが、豆の販売。

小さい焙煎機で1回に400gしか焙煎できないため、手間や時間に対する利益を考えると豆販売はむずかしい。
地域の発信を豆単体でやるイメージもまだないし、時期尚早だと思っていた。

けど、出店がなくなり、春休みの時間が有り余ったわたしは焙煎をする時間もたっぷりある。

豆販売の挑戦をするなら今だ。

3月はオンラインで豆の販売をして、まずは初期投資回収をすることに決めた。

みなさま!豆を買ってください!!!

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なので、豆を売ってみます。

ちょうど在宅勤務が広がり、家で飲み物を淹れることも多くなったのではないでしょうか。

徳島の南のほうの山奥で焙煎したコーヒーを全国にお届けします。

コーヒーの器具がない方向けのメニューもご用意しています。

たなかみゆの学生最後のチャレンジを応援してください🙇購入はこちらから→ https://tanetomame.thebase.in

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