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色彩を諦めた二人を描かずにはいられなかった。

再読の部屋  No.5 夏目漱石作「門」 明治43年(1910年)発表

夏目漱石の「門」は、「それから」を読んでいなくとも、面白いのか?
そんな疑問を持ったのは、「それから」を読まずに「門」を読み挫折した私が、「それから」の読了後、「門」が読みたくてたまらない、という思いをしたからです。

「友人の妻を奪う決意をする」という物語を読み、その次に書かれた「友人の妻だった女性との結婚生活」の物語に、興味をそそられたわけです。

しかし、「門」を再読し、「それから」を読んでいなくとも、「主人公である宗助と御米の夫婦と同年代かそれ以上の年齢であれば、読み手は自ずと経験を重ねて、興味深く読むことができるのかもしれない」と思うようになりました。

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そう考えたきっかけは、「門」には、読み手が興味を持つであろう、次の事柄について、抽象的な記述はあるけれども、具体的な事象や心情が描かれていないと感じたことにあります。

・宗助と御米が関係した経緯
・宗助と御米の関係を知った友人安井の反応
・安井と御米の離婚
・宗助と御米の結婚
・この間の、宗助の親、親類、友人たちの反応
・この間の宗助と御米の苦悩み

例えば、「宗助と御米が関係し、それが安井や親族に知られ、責められる」あたりのことは、次のように描かれています。

 宗助は当時を思い出すたびに、自然の進行が其所ではたりと留まって、自分も御米も忽ち化石してしまったら、至って苦はなかったろうと思った。事は冬の下から春が頭をもたげる時分に始まって、散り尽くした桜の花が若葉に色をかえる頃に終わった。凡てが生死の戦いであった。青竹を炙って油を絞る程の苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がった時は、何処も彼所も既に砂だらけであったのである。彼等は砂だらけになった自分達を認めた。けれども何時吹き倒されたかを知らなかった。
 世間は容赦なく彼等に徳義上の罪を背負わした。然し彼等自身は徳義上の良心の責められる前に、一旦呆然として、彼等の頭が確かであるかを疑った。彼等は彼等の眼に不徳義な男女として恥ずべく映る前に、既に不合理な男女として、不可思議に映ったのである。其所に言訳らしい言訳が何もなかった。だから其所に云うに忍びない苦痛があった。彼等は残酷な運命が気紛れに罪もない二人の不意を打って、面白半分穽(おとしあな)の中に突き落としたのを無念に思った。

大人と言われる年齢になれば、宗助や御米のような経験を持つ人、その親兄弟や親戚である人、あるいは友人、知人など、いずれかの立場で、我が身を重ねることができるのかもしれない。それを踏まえた作者に、「細かい事は、ご自分で想像してみてください。それで十分でしょう」と言われている気がします。

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宗助と御米が共に生きることについて、二人の考えが次のように記されています。

 彼等は自業自得で、彼等の未来を塗抹した。だから歩いている先の方には、花やかな色彩を認めることができないものと諦めて、ただ二人手を携えて行く気になった。

夏目漱石が描きたかったのは、不徳義と糾弾された二人が、「手を携えて生きるその日々と心情」だったように思われます。このような作品を書こうとした作者の創作衝動に興味を覚えました。そのヒントは、次に読む夏目漱石の作品の中にあるのかもしれません。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

*「門」に関する過去の投稿です。




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