「やればできる!」とは言えないけれど…。
あなたは、これまで誰かから「やればできる!」と言われたことはないだろうか?
大人になってからは言われなくても、幼少期まで振り返ってみると…といっても、そもそも昔の記憶がないということもありますね(苦笑)
仮に、いま誰かから言われたとしたら、どう反応するだろうか?
「いやいや、とても無理だよ!」
「あなたに言われなくても、できますよ。」
「『本気』になれば、簡単だよ!」
三者三様、十人十色。それこそ各人で違う反応があると思う。
ただ、「やればできる!」と言った本人は、あなたに対して何らかの期待があるからこそ、この言葉が出るのであろう。
「やれば、できる」
聞きようによっては、随分と無責任にも感じるこの言葉。
そんな言い方、しなくてもいいだろう、なんて思うのは、ひねくれた考え方なのか?
ただ、以下の言葉は、ある程度信頼を持って受け止められるのではないだろうか。
「やってみないと、できるようにはならない」
何もしないで身につく知識や知恵、技能というものはあるだろうか?
何で知っているのか?
何で動けているのか?
何でコミュニケーションが取れるのか?
そもそも、何でいま「当たり前」のように生きているのか?
それは全て、意識的であれ、無意識であれ、「できるように」行動した結果ではなかろうか?
人間、得意、不得意というものはあるだろう。
そして、不得意、不得手なものに対しては、なかなか自ら進んで触れようとはしないだろう。
でも、いま、人生に「行き詰まり」を感じているならば、それは「行動する」ことによって変わる可能性はないだろうか?
齢(よわい)を重ねると、かえって「経験」が邪魔をしてしまうことがある。
「これまでできなかったから、この先もできないだろう」と。
でも、「行き詰まり」を打開するには、
「やってみる」ということが案外、早道ではないだろうか?
たしかに「できるようになる」という「保証」はない。
ただ、そもそも「保証された人生」ってあるだろうか?
「可能性」を自分から閉じてしまうなんて、
もったいない話である。
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