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知の巨匠の読書術

ZettelKasten法のすごさを知りました

ここのところ、自分の読書ノートのワークフローを見直しました。
その中でZettelKasten法との出会いがありました。

読書ノートもセカンドブレイン作成も似ている

大抵の読書ノートや、自分用のいわゆる「セカンドブレイン」を作ろう、というもの(自身での奮闘する場合もあるでしょうし、ちょっとしたセミナーの場合もあるでしょう)は結局ZettelKasten法を自分なりにアレンジしたものである場合が極めて多い 、ということにも気づきました。

外山滋比古氏の場合

外山滋比古氏の「思考の整理学」という本を読んでみましたが、外山氏自身は自分で編み出しているのだと思いますが、よく見てみるとZettelKasten法の変法、といえるのではないかと思っています。

小理屈野郎がなんとなく自分で編み出したデジタル読書のワークフローも、そのようなものでした。当初のワークフローを作成するときはZettelKastenのことはつゆ知らず、いかにうまくノートを作り、フローを流すか、という観点から作成 したものでした。

今回のワークフローの改善は、原法に近く、そしてなるべく作った資料を再利用できるように、という視点で改善した 、という見方もできると思います。

知の巨人のセカンドブレインはどうなっていたのだろう?

ところで、知の巨匠といえば、立花隆氏佐藤優氏を、小理屈野郎は思い浮かべるのですが、彼らの読書や著作のワークフローを著作で触れている限りの情報ではありますが、収集した上でそれを参考に思索してみたいと思います。

立花隆氏の場合

個人的には、知の巨匠として筆頭にあげられるのは立花隆氏。
彼の著作もいくつか読んでいるのでそこから分かることから思索してみます。

ここでは、たくさんの資料を集め、それを整理し、その中から必要な文脈(仮説)を取り出し、その仮説を証明するのに集めてきた資料を使う 、ということを延々と繰り返しています。
そして資料が膨大なので、アルバイトの学生を雇って資料の整理 をしています。
普通はこんなことできませんよね(苦笑)。そこまでできるのは知の巨人であり、文筆業が仕事である、ということなんだろうなと思います。
立花氏については、個人的には非常に尊敬していて、そこまでの域に達することはできないな、と思います。その域に達するためには費用も、時間も非常に要求される 、ということに気づきました。

すごく言葉は悪いかもしれないのですが、
「知の巨人」である、ということが仕事だからできる 、というところがあるのではないかと考えます。

このような仕事に就きたいな、と思うことも時折ありますが、延々と資料に向き合うことができるか?といわれると、小理屈野郎は多分無理でしょう。そして、その立場に立ったとしても立花氏と同じような極めて優れた知見を紡ぎ出すことはできないのではないかと考えます。

佐藤優氏の場合

佐藤氏もいくつかの著作の中で、以下のような趣旨のことを述べています。

1.自宅からそれほど離れていないマンションの一室を仕事場(事務所)としている
2.事務所内、とはいうもののほぼすべて本棚で埋め尽くされている。現在のところ、満タンにはなっていない(1/2~2/3程度?)とのこと。
3.事務所内で仕事をするが、仕事は基本的に新聞を読むこと、読書、そして執筆とのこと。

読書については、本に直接いろいろ書き込んでいく 、とのこと。おそらく頭の中できれいに知識体系ができている ので、アップデートするだけなので本に直接メモをするだけでいける のではないかと愚考しています。
新聞についても多数の新聞を読んでいて、琉球タイムズもその中に入っているとのこと。非常に広範囲からの情報を得ている、ということですね。
氏の場合は、セカンドブレインを作らずに、完全にファーストブレイン(自分の脳)の中に知識体系を入れ込んでいる ようです。ですので、毎日の情報収集がその知識体系にアップデートをかけていくようなシステムになっているのではないかと愚考しました。
このような佐藤氏ですので、献本数もびっくりするぐらいあるとのこと。題名を見たり、パラパラ中身を見てみたりして、必要なものは読み込む、必要でないものは、そのまま本棚に入っていく、ということになっているらしく、情報収集とともに情報選択についても卓越した実力を持っている ように思われます。おそらくこれは、外務省で仕事をしていた、という能力の高さ に依拠するものではないか、そして外務省での仕事の仕方が能力を底上げしているのではないか と考えました。

知の巨人たちとは

以上のことから考えていくと、知の巨人、というのは丁寧に読書をし、その内容をしっかりと理解し、それをメモに残す場合もあるし、自分の頭の中にしまい込む場合もあると思うのですが、自分の知肉としている。また、そのようなことをかなりの長期間している人だ、ということができるのではないでしょうか?

上記のように知の巨人は、知の巨人であることが仕事になっている ので、私のような凡人はまねはできませんが、コンピュータやICTを利用することによって、それに少しでも近づくことができるようになった のではないかと思います。
それはデジタル化したZettelKasten法であり、それに類する変法ではないかと思うのです。
これらを使えば、知の巨人にはなれなくても、「知のオロナミンC」ぐらいには、なれれるのではないか 、と淡い期待を持ちつつ、日頃のデジタル読書を続けています。
(「オロナミンCは小さな巨人です 」というコピーがあったのを覚えていらっしゃいますか?上記はそれにかけていますwww)

まとめ

いわゆる知の巨人といわれる人たちの、執筆活動や普段の活動について分かる限りの情報で、彼らの活動を思索してみました。
そのような人たちも、多かれ少なかれZettelKasten法やそれに類する手法を使っている場合が多いのではないかと考えました。
知の巨人はそれ自体が仕事なので、成り立っているという結論に至りました。
一般社会で生活するものは知の巨人にはなることはできないですが、デジタル化、ICT化の進歩により昔から比べると格段に近づくことができるのではないか、と考えました。


今のままで良いけど、それを継続することが大事、ということではないか、と思っています。

もちろんこれからも使い勝手などを見ながら新ワークフローも見直さなくてはならない時期が来ると思いますが、それも含めて継続的に楽しくやっていこうと思います。

知の巨人と唯一同じ土俵に乗れるのは継続という分野のみ、と考えるからです。

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