推しという概念

皆さんには推しがいますか?
お恥ずかしながら、私にはいません。

推しを持っている人たちの熱意というかあのテンション感というのを見ているととても嬉しくなります。
何を隠そう、私はオタクのオタクなのです。
オタクが推しのことをものすごい早口かつ、テンションで話しているのを見るのが好きです。

個人的な偏見になってしまうのかもしれませんが、推しを持っている人は一種の芯みたいなものがあるように思えます。
本当に大好きなものとか人が存在することで、真っ直ぐにそのことに打ち込んでいるというか、その事にだけ夢中になれているというか、とにかくある意味での筋が通っている感じがします。

「推しのために生きている」そんな一本筋が通ったような生き方は本当にすごいと思っています。
すごいって言ってしまうと稚拙な感じが出てしまいますが、あの熱量を持って何かを語ることができるというのは一種の才能のような気がしています。

どうしたら、推しという概念を持つことができるのでしょうか?
選ばれし者だけが推しを持つことができるということなのでしょうか?

好きなものやアーティスト、アニメ、お笑い芸人、映画、何となく色々ある気がしていますが「推しですか?」と聞かれたら答えは自信を持って
「はいそうです。」といえないと思います。

なぜ、僕は推しを持てていないのか?
ここからは、周りから言われた言葉と僕の想像でのお話になります。

まずは、僕が根っからの演者側のメンタルだからというところです。
これは、前にオタクオタク全開でオタクの推しに対しての熱い思いをヘラヘラと聞いていた際に言われて気づきました。
演者側にはオタクの気持ちはわからないだろうね!って言われて最初は「悪くはねぇなぁ」とは思っていたのですが、そもそも演者側でもないな!と気づくのはそれからしばらく経ってからのことでした。

もう一つ考えられる理由は、あんまり人間に興味がないというところです。
改めて考えると、僕は本質的に友達以外の他人への興味があまりありません。
友達も別に多くはないので興味を持てる人間のキャパがある程度決まっているのかもしれません。
そんな僕が赤の他人(すごく失礼な言い方)に興味を持てるでしょうか。

そう考えると、オタクの人たちって本質的にすごく優しいのかもしれません。
誰かのために時間もお金もすごい量をかけて、毎日全力で応援するのって改めて本当にすごい事だなと思わされてしまいます。

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