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小学校で担任の先生と合わないということ。

小学生の頃、とにかく担任の先生と合わなかった。学校で過ごす時間が長くなればなるほど、それはじわじわときいてくる。中学校より上なら科目ごとに先生が変わるけれど、全科目を担任の先生が教える小学校では、嫌でもその先生と長い時間を一緒に過ごさなくてはならない。そして、苦手な先生と合う同級生というのもまた苦手な人間が多かったので、合わない人間の集団と朝から夕方まで教室にカンヅメというのは、当時の私にとっては軟禁に等しかった。

教師も人間なら生徒も人間なので、合わないというのはしかたがない。とはいえ、それを理由に気に入らない人間を指導という名目で迫害してもいいかと言ったら、それは違うだろう。特にあからさまに生徒の外見がご自身の好みかどうかで対応を変える先生に当たると、私は「勉強しかとりえのないブス」と担任とその取り巻きに一日中いびられ続けるという地獄の中に放り込まれなければいけなかった。

その人たちに私はよく「わきまえろ」という言葉を使われた。今でいうところの「空気を読め」ということだろう。それも「その場の空気に合わせろ」ではなく「俺の基準に合わせないとお前の存在も人権も認めないが、どうする?」という静かなる脅しである。この時の先生はとにかく自分基準で「女らしくない」「男らしくない」という思った生徒には教室内にいるご自身のシンパであるウェイウェイした男子を巻き込んで総出で潰しにかからないと気が済まないという、なかなか面倒なご趣味をお持ちの方であった。教師によるジャイアンになりたかったスネ夫の敗者復活戦に巻き込まれた生徒は一体どうすればよかったのだろうか。今でも答えはない。

その当時は、東にスローペースの男の子があれば、よってたかって「エレベーター使ったら罰金だ!」と言いながらその子が十四階まで階段をぜーぜー言いながらのぼる姿を総出で監視し、西に男の子より勉強熱心で成績のいい女の子がいれば、よってたかって「この歳にしてブスは嫁にはいけないから勉強するしかないことをわかってるお前はえらい!」と自尊心を焼け野原にし、南に置いた水槽の金魚をバルサンで全滅させても「まさか死ぬとは思わなかった」と悪びれなく笑い話にし、北で私が覚えたてのバスケットボールのシュート練習をしていれば「お前なんかにやられたらバスケが汚れる」と「つまらないからやめろ」と教師に言われる、それが私にとっての「社会」だったし、インターネットもない時代だったから、余計に学校が社会のすべてで、それに適応できない自分を必要以上に責めてしまっていた。無理もないし、よくこらえたなと当時の私を抱きしめてあげたい。

私も大人になり、時代も変わりつつある。男らしさ女らしさより「自分らしさ」が優先されるようになり、人の「好き」を笑う人間のほうがどうなんだろうという空気が出来上がっているのは、とても素敵なことだ。少なくとも私は、何かに夢中になってる人を「いい歳こいてダサい」と笑うような大人にはなりたくないし、いくつになっても自分の好きを追及できる人間でいたいのだ。

それがあの日、私がクラスの男子生徒の集団にいやらしいウザがらみをされていたところに通りかかったにも関わらず「こいつなんかで満足してんじゃねえよ趣味悪いな。どうせならもっといい女狙えよ」と言い放ったあの担任教師への人生をかけたアンチテーゼなのかもしれない。

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