見出し画像

死ぬ時に後悔しない生き方をしているか?

人が一番幸せなのは自分の過去や未来に捉われずに困難なことに全力を尽くしている時である。男が一番幸せなのは瞬間は片思いをしている時である。
だから、人生の途上に障害がある度に血が騒ぎ、やる気が燃え上がるのである。

僕はこれを体現できるのは仕事だと思っている。人生の大半の時間を捧げる仕事はあらゆるものの中で最高のものであり、最悪のものでもある。どんなに知識や経験があって周りから評価されていようが、その仕事が好きでなければ仕方ないのだ。

僕は非常に慎重な性格をしているが故に安全な道を選んできた。周囲からの評価を気にしながら、進学校に入学し大学を卒業したら給料の高い会社に入社するという所謂エリートと呼ばれる道を歩んできた。だが、そこに幸福感があったか、理想な人生を歩んできたかと問われれば答えはNoである。
ちなみに1つの指標として「年収と幸福度の相関」については僕は経験談として全力で否定する。お金があれば高い服が買えるし、いい家にも住めるし、高級な料理を食べることもできる。だが、それだけなのだ。人は6畳の1部屋と布団さえあれば生活できるのに、毎日奴隷のように会社で好きでもない仕事をした結果得られる報酬がそれだけなのだ。そのことに気づかないと人生を無駄にしかねない。

僕は上司の死を2回経験している。うち、1人は好きなことを我慢しながらFIREできるほどの金融資産を貯めながら亡くなった。よく死んだ人の人生は美談として語られがちだが、お世辞にも彼の人生が羨ましいものだとは思わない。

僕の友人に面白い人がいる。彼は単位が取れなくて有名大学を中退した後、ホストを何年間かやり、1年サラリーマンをした後に今起業している。1,000万円近い借金があるけど、彼は全く悲観的にならずに好きなことを全力でやっている。彼曰く「人生はどうなるか分からないから楽しい」そうだ。

確かに安定した給料をもらいながら会社員をし、家庭を育むというのも素晴らしい人生だと思うが、変数としては「会社内で出世できるかどうか」「子供が優秀に育つかどうか」の2つくらいしかない。それは映画でいうと予告で八割方のストーリーを伝えられた後に映画を鑑賞しに行くようなものかもしれない。

僕はようやく自分が本気で取り組みたい思えることが見つけられた。死ぬ時に後悔しないように安定した人生を捨ててチャレンジしてみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?