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遅めの反抗期の末、気付けば家出していた。

 前回、29歳にして遅めの反抗期を迎えているという記事を書いてから、3ヶ月ほど経った。結果からいうと未だくすぶっている。定職に就かず、かといって人生の冒険チャレンジルートに完全に身を投じる勇気も出ないままである。ただ、この期間何もしていなかった訳ではない。

 それは反抗期の必要性に気付き悶々としていた時である。Facebookで知人が屋久島でのヘルパー募集の記事をシェアしていた。定職に就くことも、冒険チャレンジルートを突き進むこともできずにいた僕は、実家で不毛な日々を送るよりは今までと異なる環境に身を置き、刺激を受けながらの方が考えられると思い、ヘルパーとして2週間ほど屋久島へ渡ることにした。当たり前のように親からは反対されたが(そんなことより仕事を探せと)、なんとか振り切り出発した。

観光ではなく、生活をする。

 屋久島に来るのはなんだかんだ言って3回目であった。呼ばれないと行けない島などと云われ、実際僕の友達はこれまで4,5回ほど屋久島を目指し、ことごとく台風に拒まれたりしている。そう考えると初めからご縁はあったのかも知れない。

 今回ヘルパーとはいえ、観光目線ではなく生活するという目線で屋久島に滞在できたことはかなり良かったと思う。観光では見えないこと、考えないこともたくさん見て、経験することができた。ヘルパーの仕事をして、決まった曜日にゴミを出し、ヤツデとクワズイモの森と化した庭の草刈りをした。突然の大雨や停電を乗り越え、台風に備えて避難したりもした。もちろん海や川で遊び、まったりウクレレを弾いて、地元の人たちと地元のお酒を飲み、世界自然遺産である縄文杉や九州地方最高峰である宮之浦岳へトレッキングへ出かけたりもした。こうした全てのことを通して、屋久島に住むということを体感することができたと思う。

予定は未定。そもそも短すぎたのだ。

 そんなこんなで色んな方のお世話になりながら、気付けば屋久島に2ヶ月滞在していた。正直もっと居たかったが、2週間で戻ると言って半ば強引に出発した手前一度戻ることにした。2ヶ月いたからこその経験、人との繋がり、新しい景色、、そもそも2週間という期間では短すぎて観光のまま終わっていただろう。案の定親からは「騙された」と言わんばかりに非難されたが。。

 そんな時にふと、前回書いた遅めの反抗期の記事を思い出し、ハッとした。これはまさに(29歳相応の規模になってはいるが笑) 思春期に、反抗期に、親への反抗をより具現化するために行う「家出」というものではないのか、と。

順調な成長を遂げていた。

 つまりそう。29歳、今さらながらにして「反抗期」の必要性、大切さに気付き、戸惑いながらも反抗期をしようともがいていたわけだが、しっかりできていたようだ。その証拠がこの2ヶ月に及ぶ壮大な家出だったのである。

 そうは言っても自分の人生を堂々と生きぬく為には、相応の責任がつきまとう。自分の生きたい人生を人の心配をよそに貫くのであれば、その人生で自分にとっての「幸せ」を見つけ、そして幸せであると主張する(安心させてあげる)ことも責任の1つではないだろうかと思う。

 そうなると長く実家にいることは自分の前進を止めてしまいかねない。新卒で実家を離れ、転職し実家に戻り、家出までしてこれからを模索している「今」だからこそ思う、僕にとっての実家とは、、


帰る場所として在って欲しいが、住む場所ではない

、、わがまま極まりない発言だとは理解しているつもりだ。


人は迷いながら進んでいく。

 今さらながらの反抗期も、2ヶ月に及ぶ家出も、結局は僕が冒険チャレンジルートへ飛び込んでみたいからなのではないだろうか。しかしその反面、「世間一般でいう普通」であるべきでは? と思う自分もいる。どうにか「普通」から抜け出してみたい好奇心と、「普通」から外れることの不安が入り混じって混沌としている。そもそも「世間一般でいう普通」とは何かと聞かれても、明確な答えを持ち合わせているわけではないが、、

 平凡が正解で、非凡が不正解とは限らない。時にはその逆も両方正解のパターンだってある。ゆえに僕は自分で決めて、後悔の少ない方を選択できたらと思う。今この瞬間にはその答えは絶対にわからないのだから。

 いつの日か笑いながらこの人生悩みぐるぐる期について話せるように、この混沌からは家出しないようにしよう。

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