【掌編】代理母

 長期休暇になると、この町に来ることにしている。少なくとも年に一回はここに来ている。
 観光ではなく、知り合いに会いに来たわけでもない。特にすることがあるわけではない。ただ町中の普通の公園に行って子供が遊ぶ姿を見て一日を過ごす。
 女が一人でずっとベンチに座っているのも少し目立つので、その場に留まれるのは一時間か二時間くらいなものだ。手元では文庫本などを開いているが、本を読んでいるわけではない。その回りで遊ぶ子供を眺めている。
 男の子だ。もう七歳だから、それくらいの背格好の男の子が目当てだ。
 眺めながら、この子かも知れないと思う。
 そういう子が近くに寄ってくると、どんなことを話しているのか、こっそりと聞き耳を立てる。特に気を引かれる子には近くまで行って、その子の言葉をよく聞いたり、仕草をもっと見ようとする。怪しまれないように、例えば彼の遊ぶ遊具の近くの花壇を観察するふりをする。
 頭の中でその子と自分が楽しく暮らすという想像をする。
 しかし、あまり近くにずっといれば怖がられるかも知れないし、一緒にいる親に何か言われるかも知れない。怪しまれないくらいの時間でその場を離れ、次の公園に向かう。そして、また同じような齢の男の子を眺めている。一日中それを繰り返す。
 毎年、長い休みのたびにそういうことをしている。私の産んだ子供の成長に合わせて、眺める対象の子供たちも年齢を上げていく。

 私は七年前に出産したが、それは代理母としてである。
 私のクライアントであった夫婦は、この町で暮らしているはずで、私の産んだ子供もここに住んでいるはずだ。そして、休みの日には親子でこういう公園で遊んでいるかも知れない。今こうやって公園で遊ぶ数多の親子と同じように。
 別に産んだ子供を取り返したいと思っているわけではない。私が産んだとはいえ、道義的にも遺伝的にも自分の子供ではないのは判っている。私はビジネスとして代理母になったし、依頼人の夫婦との接触もコーディネータを介してのものだった。報酬がもらえればいいのであって、彼らには何の興味もなかった。
 しかし、出産した後、落着かない気持ちになった。赤ん坊を我が子と思っているわけではない。妊娠中はお腹の中の子供を大事にしていたが、少し気味悪い感じもしていた。
 産まれたときは自分の中から大きな詰まりが取れた感じで、少なからずホッとした。
 無痛分娩だったし、安産で、子供も完全に健康体だった。指定された病院で取り上げられた子供は、すぐさまどこかに運ばれていったので、自分の手で赤ん坊を抱いたこともない。当然授乳もしていなくて、しばらくは乳が張って困ったが、後を引くような健康上の被害らしいものもない。
 私のお腹を借りただけの赤ん坊なのだ。風が通り過ぎていったようなもので、何の思い入れもない。
 ないはずなのに、出産して数年してから、あの子がどうしているのかどうも気になった。私はあの赤ん坊の親ではないし、あの子は私の子供ではない。何の愛情も愛着もない。一目会いたいとか、そういうことではないのだ。
 ないはずなのだが、どうも気になった。好奇心かも知れない。あるいは動物的本能なのか。

 それで、依頼人の住む町に行くことにしたのだ。市町村より細かいレベルで彼らが具体的にどこに住んでいるのかは知らない。コーディネータに聞いても教えてくれないが、絶対に判らないということはなく、例えば探偵を雇えば知ることはできたと思う。でも、それをする気はなかった。
 ただ、その町の公園を巡り、自分の産んだ子供と同じくらいの齢の子供を眺める。それだけできればいい。
 一目見れば自分の産んだ子供は直観的に判る、なんてオカルトは信じていないし、その子供と具体的に知り合いたいとも思わない。まして、誘拐なんて考えてもいない。
 ただ、子供を見て、それは自分の産んだ子供かも知れないと考えるだけのこと、可能性の子供と可能性の中で会うだけだ。
 それだけで私の中の何かが満足するようだから、そうしているだけだ。
 幸せそうな子供を見て、私の産んだ子供も幸せだったらいいと思うだけのことだ。
 この行脚のあとはいつも、自分の中身が薄くなったような、ふわふわした気持ちになる。幸福感に似ているがどこか違う気持ちだ。
 私はこういうことをあと何年続けるのだろうか。子供は中学生にでもなれば、公園で遊んだりはしなくなるだろう。そのとき私はどこに行けばいいのか?

 結局、私が代理母の仕事をしたのは一回だけだ。普通に結婚して子供を産んでもいいとは思うのだが、今のところ縁もないし、何となく気も進まない。


(記: 2022-03-17)

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