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SORJIN日記 070

ほどなくして僕らは夢の沖縄支店を持った。目の前にある婚礼組数すべてを取っていく・・・という当初目標をかかげた。もちろんベテラン15歳年上のエーススタッフが沖縄常駐を買って出た。50歳過ぎての単身赴任だ。コンピュータグラフィックスで全ページグリグリに加工したウェディングフォトアルバムをひっさげて沖縄にきた僕らを「黒船」がやってきた・・・とまで言わしめた。全ては計画通り。うまくいく。はずだった。。

しかし、僕ら目指した計画と現実はずいぶん違った。沖縄の披露宴は300人〜400人。披露宴時間も3時間〜4時間は当たり前、余興がとにかく長いので本土の撮影しか知らない僕らは撮影に困難を極めた。つまり「特色」の無いただひたすら長い披露宴では「僕ららしさ」を表現する事に苦しんだ。

何度も何度もミーティングを重ねた。何が間違っているのか。何処を見逃したのか。きっと「黒船」とか言われていい気になっていたのだと思う。地道にお客様と話し合って、理解し合って、撮影して「やっぱりココに頼んで良かった」心から喜んで頂く。そんな勝利の方程式を僕らはすっかり忘れていた。

勝負を焦ったんだ。
遠く離れた沖縄で「居る」だけで経費がかかる。少しでも売り上げを。。。焦れば焦るほど結果が出ない。

エースが抜けた本社でも売り上げがみるみる下がっていった。エース以外は30代の僕とあとは20代の若いチーム。30代の社長なんて誰からも認めてもらえるような年齢では無い。撮影は若いスタッフでねじ伏せられると思っていたけど「大人を納得させられる重し」という意味では思いのほかエースが抜けた穴は大きかった。マネージャーという40代の責任者がいたのだが残念ながら仕事がキレるタイプでは無い。

本社も沖縄もどっちも八方塞がり。

この頃かなぁ〜月一で通った沖縄で一人カフェでボォ〜っとするようになったのは。いまじゃそのカフェなくなったけどね。夜から朝方までずっとそこに居た。南国の音楽がずっと流れてた。

たまにある沖縄での前撮り。北谷や豊見城のビーチ。読谷村の元飛行場。ざわわなさとうきび畑。いろんな場所でたくさん撮影した。でもどこか空しかった。どこか心が満たされなかった。

このままだと本社も沖縄も共倒れ。

僕はエースを本社に戻す事を決意する。40代マネージャと交代してもらう。この決断が吉とでるか凶とでるか。

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裏千家より茶名<宗仁>を頂いたので名前変えました。Gデザイナー→映像製作→写真撮った事も無いのにフォトスタジオ運営→沖縄に行けるから沖縄フォトウェディング開始→素人なのにカフェを運営→話の流れで古民家買い 結婚式場「家中舎」のプロデューサーに就任。一緒に人生楽しみましょう!

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めでたいのか??50歳になりました。満を持してnote復活です。20年間たくさんの経験を積んできました。アクティブに生きる事って楽しいのです。お金の稼ぎ方も小出しにしますが、どうでもいいようなことを楽しむ生き方を紹介していきたいと思います。

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