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#12 右手に知恵を。左手に歌を。

今、ルミネが広告を通して何を伝えるのか?
みんな大好き(たぶん)ルミネの広告シリーズ2020年夏バージョン。
『右手に知恵を。左手に歌を』
コピーライターは尾形真理子。彼女の小説は微妙なのですが、コピーは一級品。あくまで個人の感想です。でも、広告から派生したショートストーリーシリーズvol.10は結構よかったです。今度記事にしたいと思っています。


右手と左手、知恵と歌

右手と左手、両手にそれぞれ抱くなんとなくのイメージ感との調和。
右手が利き手の私からすると、左手って扱いにくいイメージ。

だからこそロマン砲というか、制御不能、秘めたる力という連想をしてしまいます。制御不能って書くと強そうじゃないですか?

あと左腕の投手。サワンって響きは昔から好きでした。左利きには天才というイメージがありました。野球漫画なんて『タッチ』か『ドカベン』しか知りませんが、左腕はバッターを力でねじ伏せにいくイメージがあります。キレの右腕とパワーの左腕。

サイエンスとアートとも表現できますね。理性と感性が右手、左手を表している。知恵と歌はその具体化としてぴったりとハマります。

・右手 → 知恵、理性、常識、ルール、サイエンス
・左手 → 歌、感性、非常識、掟破り、アート

時代背景も相まって

知恵と歌、どちらも持たなければいけない。そう伝えているように思います。とっても普遍的な言葉。

でも、時代背景や現状を鑑みると見えてくるものもあります。

作品は時代を反映する。映画は特に顕著ですし、小説や歌や広告もその時代に生まれ、息をしている人なら時代に影響されて製作してしまう。今見てもよさがわからないコンテンツなんかはそうやって考えるようにしています。当事者しかわからないことってありますからね。

ウィズコロナの時代の今として考えると「知恵と歌」は、
①防疫に関しての知識と制限された生活を乗り切るための遊び心。

②ルールを知ることと、ルールを破ることを知ること。
笑顔でのstayhome大合唱や自粛警察を前にして、いかに考えられるかが重要だと思います。未曾有の事態ではたぶん正解なんてなくて、自分の“あたま”をつかえる状態にしておこうと僕は思っています。

いつ明けるともしれないコロナウイルスの夜。自分の足で歩くことができるかが問われています。


尾形真理子のコピーって

わかりやすいことをわかりにくく言う人だなって思いました。だからこそいい。直球ではなく、回り道して届く言葉だからこそ広告ではなく作品になる。ポスターを見て直感的にいい!とならずに、少し立ち止まって考えさせる。見た人の10秒後を変える。

だからこそ尾形さんは小説のように説明が必要になってくるコンテンツではなくて、コピーを提示して少し考えさせるくらいの表現が合っているのかなと身勝手ながら思うんです。

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