プリンセス・クルセイド #2 【太陽のプリンセス】 5

「さて、ここで決着をつけましょうか。多少、行儀は悪いかもしれませんが!」

「ひゃっ!」

 イキシア王女が横薙ぎに振り回した薙刀を、アンバーはかがみ込んで躱した。頭の上で風が鳴る。

「まだまだっ!」

 アンバーが顔を上げると、イキシア王女が流れていく薙刀を強引に振りかぶり、今度は縦に振り下ろそうとするのが見えた。アンバーは屈んだ姿勢のまま、真横に飛び退いて回避を試みる。間一髪で直撃は免れたが、背中のマントを切り裂かれ、ベッドのシーツが裂かれる音が聞こえた。

(あ、危なかった……)

 胸を撫で下ろしかけたアンバーだったが、状況はむしろ悪化していた。闇雲に飛び上がったせいで、着地できる足場が無い。

(しまった……!)

 アンバーは体勢を整えようともがいたが、どうすることも出来なかった。頭から湖へと墜落していくのを自覚すると、現実を背けるように固く目を閉じた。地面に激突するよりはましだが、水面に激突してもかなりのダメージを受けてしまうだろう。しかも、アンバーは泳ぎに自信が無かった。これから闘いを続けるのは不可能だ。

(もう、ダメ……)

「……武芸十八般、馬術……」

 観念したその時、イキシア王女の声が聞こえた。その一瞬間後、アンバーの体が不意に空中で止まった。

「な、何……?」

 アンバーは驚きのあまり目を見開いた。目の前にある湖の水面までは、まだかなり距離がある。足首の辺りを握られているような感触を覚え、顎を引いて上を見た彼女に視界に、翼の生えた馬に跨るイキシア王女の姿が見えた。

「……馬? ルナちゃん?」

「……これはシャイニングペガサス。私の召喚した光の精霊ですわ」

 イキシア王女はアンバーの足を掴んだまま淡々と答え、そのままペガサスを操って草原の上に着地し、アンバーを降ろして座らせた。

「……あの、ありがとう――」

「がっかりですわ」

 アンバーがお礼を言う間も与えず、イキシア王女が言い放った。

「一番槍を取ったかと思えば、先程から逃げてばかり。戦う気がありますの? 覚悟の上でわたくしに向かってきたのではなくて?」

 凛とした表情で告げるイキシア王女に、アンバーは返す言葉が無く、草の上に座ったまま黙って俯いた。やるしかないと心に決めて飛び出してきたのに、逃げ回ってばかりで反撃の糸口もつかめない。いや、反撃など考える余裕もなかった。

「……まさか貴女、闘わずに済むならそれでいいと思っていませんか?」

「思ってるよ……だって……」

 イキシア王女の投げかけた言葉に、アンバーの下腹部の辺りからわだかまりが再び湧き上がってきた。そのまま胸の中まで上ってきて、息が詰まりそうになる。

「本当は……闘いたくなんてないから」

 アンバーは吐き出すようにして呟いた。その言葉を自分の耳で聞き、ようやく今の自分の気持ちを理解する。闘わなければならないと言われても、自分には拠って立つものがない。心がついてこない。覚悟を決めたつもりでも、そもそも覚悟とは何かが分かっていない。

「突然……突然なんですよ。昨日まで顔も知らない人のせいで闘わなくちゃならなくなって……だからこうしているんです」

 アンバーはそう言ってイキシア王女を見上げた。彼女の顔にほんの一瞬動揺が走ったように見えたが、すぐに凛とした表情に戻って口を開く。

「……その口ぶりでは、貴女の狙いは魔法の杖ですね?」

「ど、どうして分かったんですか?」

 心を読まれたかのように言い当てられ、今度はアンバーが動揺した。

「分かりますわよ。愛のためならば、迷うことなどないはず。人にはそれ以外に生きる道など無いのですから」

 イキシア王女の言葉は、胸に突き刺さるようだった。王女ははるばるマクスヤーデンから馬に乗ってやってきたのだ。よほど王子と結婚したいのだろう。だが、対戦相手のアンバーは逃げ回ってばかりいる。

「すみません……私は……私は……」 

 アンバーの頬を涙が伝った。何を言いたいのか、誰に何を謝っているのか、自分でもよく分からない。ただ心の中には、メノウの姿が思い浮かんだ。

「……お立ちなさい」

 その時、イキシア王女がアンバーの腕を掴んで無理やり立たせた。

「な、何を……」

「いいですか。例え王子を愛していなくとも、貴女の願いが本物なら、闘う理由や他人の思惑……そんなものは全部どうでもいいはず。人は皆、心に秘めるひと振りの剣に誓って人生を歩むのですから」

「心に秘めるひと振りの剣……?」

「覚悟も、自信も無くていいんですわ。とにかく向かっていけばいい。わたくしだって……」

 そこで一度言葉を切ると、イキシア王女は伏し目がちに呟いた。

「わたくしだって、不安ですもの。王子に愛されているとは……言い切れない」

「王女様……」

 アンバーは王女に対する同情が芽生えるのを感じた。彼女もまた、戦うよりは願いを叶えたいという想いの方が強いのだろう。アンバーとは違い、戦闘の実力については不安は無いだろうが、そういう問題ではない。

「……ですが、お互い今は闘うしかないのです。よろしいですか?」

「分かりました。今度は逃げません」

 こちらを見るイキシア王女の視線とアンバーの視線とがかち合った。二人はほぼ同時に背中合わせになると、一歩ずつ歩を進めて互いに距離を取る。歩くたび、風に吹かれて涙が乾いていく。アンバーが歩みを止めて振り返ると、王女も同じようにしてこちらを向いた。

「アンバー、今一度名を名乗りなさい。雌雄を決する闘いの前には、己が何者であるのかを相手に知らせるのです」

 イキシア王女はそう言うと、剣の鞘に手をかけて構えた。

「私の名前はアンバー……」

 アンバーは剣を鞘から抜き、頭の上へと振りかぶった。

「アンバー・スミス。ウィガーリー国で一番の鍛冶屋の娘!」

 そして名乗りを上げ、剣を体の正面までゆっくりと下ろした。心を落ち着かせるように、息を細く長く吐く。

「わたくしの名はイキシア……」

 イキシア王女は半身になり、腰を落とした。

「マクスヤーデン国王女、イキシア・グリュックス。人呼んで太陽のプリンセス!」

 そして高らかに名乗りを上げると、そのままの姿勢で勢いよく走り出してきた。剣はまだ鞘に収まったままだ。

(剣を抜かない……?)

 アンバーは戸惑いながらも剣に光を灯らせ、空を斬るようにして払った。

「ハイヤーッ!」

 刃の先から巨大な光の波動である斬撃波が迸り、王女に襲いかかる。

「……ハッ!」

 しかしその時、イキシア王女は機敏なサイドステップで横に飛び、寸前のところでこの斬撃波を回避した。彼女の剣は未だ鞘の中に収められている。

「……外した?」

「武芸十八般、居合術……っ!」

 横から声がして、アンバーは向き直った。イキシア王女が叫びとともに剣を一閃するのが見えたとき、不意に視界がぼやけ、周囲の時間がゆっくりと流れるような錯覚を覚えた。その感覚のまま、アンバーは防衛本能の赴くままに身をよじって剣を王女に向けて振り、斬撃波の再発射を試みる。

「ハイ……ウワーッ!!」

 しかし脇腹に突如として走った鋭い痛みに耐えかね、斬撃波は不発に終わった。痛みは鳩尾の辺りまで達し、立っていられなくなり片膝をつく。ぼやけていた視界が徐々に暗くなり、体中の力が抜けていった。そのまま剣を取り落とす。

「ま、負けた……」

 自らの口から出た言葉だけが、アンバーに事実を認識させた。薄れゆく意識の中で、イキシア王女の声が聞こえてくる。

「……傷を負わなければ、剣を折れていましたのに……」

 そう呟く王女の肘から右肩は、不気味に黒ずんでいた。斬撃波を躱しきれず、負傷してしまった跡のようだ。

「……安心なさい。貴女はまだ……負けてはいませんわ」

 王女の言葉の根拠は、アンバーには分からなかった。分からなかったが、確かな事実が一つだけある。自分にはまだ、父を救える望みがある。

「……そう、良かった……」

 アンバーは最後にそうつぶやくと、目蓋を閉じて草原の上に倒れ込んだ。暗い視界の中で音も聞こえなかったが、チャーミング・フィールドが収束する感覚だけは、はっきりと分かった。

#2 「太陽のプリンセス」 完

次回 #3 「心の剣」


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