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プリンセス・クルセイド #8 【決着の刻】 7

「ふふ……まずは、うまく狩り場に誘い込めたわね」

 月夜の街道を物見遊山のように闊歩しながら、アレクサンドラは含み笑いをした。屋敷に突入してきたタンザナとプリンセス・クルセイドを始めた彼女は、すでにチャーミング・フィールドにはいなかった。しかし、闘いが終わって現実世界に戻ってきたわけではない。むしろ、彼女が勝利を収める闘いはこれから始まるのである。ここは彼女が聖剣の能力を発動して入り込んだ、タンザナの精神の中の世界だ。相手の記憶に存在する暗い過去をもとにして生まれたこの世界で、動揺した隙を狙って斬り伏せる。これがアレクサンドラの得意とする戦法であり、前回のメノウとの闘いではそれで相手を圧倒した。今回も十中八九、勝利を手中にしたといっていいだろう。実際にはまだ一合も打ち合わせていないが、アレクサンドはそう確信していた。

「それにしても、随分と古臭い街並み……あいつ、何者かしら?」

 アレクサンドラはそう言いながら足を止め、おもむろに辺りを見回した。月明かりに照らされた家々は、そのどれもが木造、あるいは石造りで、ひどいものになると藁でできていると思わしきものさえ見受けられる。コンクリートの建造物などは一切存在せず、当然道路もまったく舗装されていない。

「……きっと田舎者なのね」

 アレクサンドラは肩をすくめて呟いた。そんな彼女の着ている服も、粗悪な麻製に変わっている。もちろん、これは彼女の趣味ではない。精神世界に突入したアレクサンドラの姿は、元になった記憶の中に存在する者の姿に変わる。彼女の現在の姿は、この街の住民といったところだろう。この人物がタンザナとどのような関係にあるのかは不明だが、まもなく顔を合わせることになるに違いない。煌々と輝く満月の下、荒れた土の道を歩いていくと、やがて薄紫色の髪をした女性の後ろ姿が見えた。タンザナだ。

「……あの、少しお尋ねしますが」

「……はい?」

「この辺りに宿はあるでしょうか? 道に迷ってしまいまして……」

 アレクサンドラの口にした言葉は、タンザナの記憶の中から彼女の脳裏に引き出された言葉である。それをそのまま再現することで、相手をより精神世界により引き込むことができる。これはいわば、演劇の台本に書かれた台詞といったところだ。そして舞台が盛り上がったところで、即興じみて奇襲をかける。それが一連の流れだ。

「道に迷ったのね……ならば、お前は正しい所に来たと言えるわ。人の子よ」

「……あの、何を言ってるんですか?」

 アレクサンドラは、「台本」どおりに聞き返した。だが、おそらくこれが現実世界で起こっても、やはり同じ言葉を口にしただろう。タンザナの口調は大仰で芝居がかっており、むしろ彼女のほうが「演劇」を繰り広げているかのようだ。しかし、その疑問も、振り返ったタンザナを見た時にはすべて吹き飛んでしまった。金色に光る目。牙のように鋭く伸びた犬歯。満月の光を浴びて輝くその姿は、彼女の中に眠る原初的な恐怖を呼び起こした。

「ヴァ……ヴァンパイア!」

「へえ? 私のことを知っているとは、博識なものね」

 タンザナは妖しく微笑むと、爪の伸びた手でアレクサンドラの頬に触れようとした。

「……さ、触るな!」

 アレクサンドラは咄嗟に飛び離れ、腰に差した聖剣を抜き放った。大昔から存在する伝説の怪物を前にして、彼女の理性は一瞬にして失われていた。

「うわーっ!」

 言い知れぬ恐怖を抱えたまま、アレクサンドラは闇雲に斬りかかった。もはや記憶の再現をしている余裕はない。それほどまでに、ヴァンパイアという存在の恐ろしさを人々は語り続けてきたのである。

「……ふんっ!」

 しかし、絶望的な想いが込められた刃は、呆気なく怪物の手によって止められてしまった。

「人の子よ、お前は……なるほど、お前は私のココロの中に入り込んでいるのね? そうして私を乱そうとしているのでしょう?」

「ど、どうして……」

 アレクサンドラは絶望の瞳でタンザナを見上げた。聖剣に力を込めるが、まったく動く気配がない。その華奢な腕から想像できないほどの強い力。これもまた、彼女の知るヴァンパイア伝説の一端だ。

「どうしてって、理由なんてどうでもいいわ。要は、お前は私を絶望させようとしている。でもね……」

 タンザナが空いているほうの手で腰の聖剣を鞘走らせた。

「これだけは覚えておいてね。他人を絶望させられるのは、なにもお前だけじゃない……」

「なにを……」

「はあっ!」

 タンザナが勢いよく剣を振ると、アレクサンドラの聖剣は真っ二つに叩き折られた。剣を動かそうとしていたアレクサンドラが、勢い余ってその場にくずおれると、彼女の隣に怪物がしゃがみ込む。そしてこう囁いた。

「……私はヴァンパイアで、お前は無防備な人の子。あとは……分かるわよね?」

「やめろーっ!」

 チャーミング・フィールドが収束する光に包まれる中、アレクサンドラは絶叫した。やがて首筋に激痛を感じた直後、全身の力が抜けていく。それが闘いの終結によるものなのか、伝説どおりにヴァンパイアに血を吸われたせいなのかは定かではない。だが、アレクサンドラにはひとつだけはっきりとしていることがあった。狩り場に誘い込まれたのは、タンザナではなく彼女のほうだったのだ。

8へ続く

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