僕が「インスタ映え」が嫌いな理由
僕は「インスタ映え」という言葉やその写真が苦手だ。
カラフルな色が散りばめられた食べ物だったり、照明のようなものを散らしてそれっぽく綺麗に見せるスポットだったり。最近だとただの真っ白な壁さえ、写真を撮るのに「映える」、つまり「インスタ映え」するスポットの1つになっているらしい。
そのような綺麗、映える写真をインスタグラムで投稿すると、たくさんいいねをもらえる、いいねをもらいやすくなるらしい。そういった情報を、ネットで調べていてなるほどなと思った。
インスタ映えの違和感と、人それぞれの「インスタ映え」
インスタ映えというのは、自分の好きなものを良いと感じるのではなくて、周りから見て良いと感じ、それに価値があると考える要素の1つなのかもしれない。
僕の場合は、インスタグラムを日常的に使う中で、良いなと思った写真は保存してまとめている。けれどもその写真を見返してもおそらく周りから見て「映える、インスタ映え!」といったものはほとんどないと思う。
例えば僕は、住宅街やお店の中で不意に撮られたような、被写体の自然な表情が写っている写真だったり、服やメガネなどの小物を角度を工夫しておしゃれにみせているような写真が好きでよく保存している。これらはインスタをはじめるための参考写真用の目的もあるが、単純にそのようなおしゃれな写真が好きなんだと自分自身思う。
にぎやかなスターバックスで窓際の席。にこやかに、カメラ目線でフラペチーノを飲んでいる写真は、その時の雰囲気だったりを楽しんでいる生活の一部を写真に込めて切り取っているように感じて、まるで人の人生に触れているように感じる。
要は自分自身がその写真に価値を感じていればそれでいいのだと思う。流行りや話題性のあるものが本当に良いと思っているなら。しかし周りが良いと感じるものに無意識に自分も良いと感じる雰囲気をみていて、少しそこに違和感を感じる。
インスタ映えから見た価値観の選び方
テレビやニュース、SNSが発展して、様々な情報がシャワーのようにダーッと浴びせられる状況の中で、自分にとって価値あるもの、価値観、考え方などを取捨選択することが求められると、日々そういったメディアを利用していて思う。
理解されなくてもいい、自分が好きなものを好きだと感じる価値観が、自分にとっての今でいう「インスタ映え」みたいなものないだろうか。